いつもの日常のいつもの朝。
大学の講義に出席するため、
恭子と直美は出かける準備をしていた。
「直美―早くしないと遅れるわよ?」
玄関で外履きを履き、廊下の奥を見つめながら恭子が言う。
「もうちょっと待って~! スマホの充電器なくしちゃってー! 見つけたらすぐ行くから!」
そう返事をする直美に、
恭子は外で待っていると言い残し、玄関の扉を開けた。
「きゃっ!」
ドアを開けてすぐに、見慣れぬ鉄の柱と人の足が映った。予想もしなかった外の光景に驚き身を屈める恭子。
彼女に気が付き、作業服姿の男が声をかける。
「あっ、すみません。すぐにどきますから」
男は最近チカチカと点滅を繰り返し、調子の悪かった照明の交換を行ってくれていたようだ。
古くなった電球を片手にいそいそと脚立を降りる男性に、恭子はオーバーなリアクションをしてしまったなと思い、謝ることにした。
「こちらこそすみません……照明の交換してくださったんですね。ありがとうございます」
いつものエンジェルスマイルでお礼を言う恭子に、脚立を降りたばかりの男は固まってしまった。
目を見開き、瞬き一つしない男性。
歳は30代後半から40代前半といったところか。
小太りで脂汗をかいていた。
制服は小綺麗にしているようだったが、
肌が汚く汗の臭いが強いため、少し不潔な印象を受けた。
時が止まったかのように身動きしない男性に、恭子は再び声をかける。
「あの……どうかされましたか?」
心配そうに見つめる彼女に、男はハッと気がつき返事をする。
「あっ……いえ。ななな、なんでも!」
目が踊り、慌てて反応する。
それは恭子にとって、見慣れた男性の反応だった。
芸能界でも通用する美貌の恭子に対し、このようにたじろぐ男性は多い。
高校時代は、こうした男性を無下に扱ってきた恭子であったが、直美と付き合うようになってからは心に余裕が出来たのか、落ち着いて接することができるようになっていた。
「おまたせ―キョウちゃん! 充電器あったよ~!」
勢いよく直美が飛び出す。
すぐに恭子と手を繋ごうとしたのだが、見慣れぬ男性がいることに気づき、キョトンとした。
「ん? この人だーれ?」
「ほら、照明。チカチカしてたでしょ? この作業員さんが交換してくれたのよ」
「あっ、なるほど! ありがとうおじさん!」
納得し元気にお礼を言う直美に、男は自己紹介を始める。
「いえいえ、今月からここで管理人として働くことになりました牛久沼(うしくぬま)と言います。お部屋や建物のことで、何かありましたら、いつでもご連絡下さい!」
そう言い牛久沼は二人に名刺を手渡した。
「そうなんですね、今後もよろしくお願いします」
頭を下げる恭子に、彼は笑顔で返す。
しかし普段笑っていないのか、少し引き攣りを起こしていた。
そんな不自然な笑い方を気に留める様子もなく、恭子と直美は再びお礼を言い、エレベーターホールへ向かって行った。
チーン!
ドアが開き、中へ入る二人。
階下のボタンを押され、ドアが閉められた。
そんな二人の様子を……というより恭子の姿を見ながら牛久沼は思った。
(て……てんし……いや……あれは紛れもなく女神だ……)
恍惚とした表情で二人が消えたエレベーターホールを見つめる。
彼はそのまま女神と出会った感慨に耽りながら立ち尽くしていた。
38歳独身 マンション管理人
牛久沼(うしくぬま) 達郎(たつろう)
これが彼が甘髪恭子に恋をした瞬間であった。
牛久沼は恭子が出てきた部屋の番号をスマホで撮影すると、不気味な笑みを浮かべて非常用階段を降りていった。
※※※
その日の夜
大学の講義を終え、帰宅していた直美は、
リビングで、デスクトップパソコンのスクリーンをじっと見つめていた。
画面には裸の女同士が映し出されており、
69の姿勢で互いの膣に指を出し入れしているところだった。
「う~ん……なんでだろ?」
思っていることを口に出す。
直美はこのレズ物のAVを観賞し、何かを疑問に思ったようだ。
両腕を組んでゆっくりと首を左右に振る。
将棋の巨匠が長考をしているかのような重々しい雰囲気である。
「ただいまー」
ビニール袋を片手に恭子が帰宅する。
「おかえりーキョウちゃん」
恭子は直美がパソコンで何を見ているのか気になったが、
ひとまず夕飯の材料を入れに冷蔵庫へと向かった。
「今日は遅くなっちゃったから、お惣菜売り場で直美の好きな蟹クリームコロッケとクジラの竜田揚げを買ってきたわよ」
「えー! クジラの竜田揚げもあったんだ! やったぁー!」
「最近クジラの漁獲量が増えて、スーパーでもよく見かけるようになってきたわ。クジラの脂身と刺身も買ってきたから、後でクジラ汁でも作るわね」
「今日はクジラ三昧だね! 楽しみー♪」
炊飯器のご飯のスイッチを入れ、恭子が直美の元へやってくる。一旦休憩してから夕飯の支度をするようだ。
「ところで何の動画を観てるのかしら?」
興味津々に画面を覗き込もうとする恭子。
「レズ物のAVだよ」
ガタン!
ちょうど座るタイミングだった恭子は、そのままスッ転んでしまった。
「ちょ、ちょっとなんて物を観てるのよ……」
普段毎日のようにセックスをしているのに、直美はそれでも性欲を抑えられないのかと飽きれ気味だ。
とはいえ、直美がどんな物に興味を持っているのか気になる。恭子はツッコミを入れながらもAVを観ることにした。
「ぁん……あっ、あぅん……ずぅるるるぅぅ……ピチャッピチャッ」
そこには、片方の女優がもう片方の女優の膣に指を突っ込み、勃起したクリトリスを丹念に舐めている様子が映し出されていた。
女優は慣れた手つきでリズミカルに指を出し入れしている。受けている方は実に気持ち良さそうだ。
(特に変わったAVではないわね……これなら私達が普段していることの方がずっとハードよ)
直美がなぜこのAVを選んだのか恭子には理解できなかった。
さらに不思議だったのは、
直美がその映像を観て全く興奮していないことだ。
無表情に、ただ眺めているだけなのだ。
プレイ内容ではなく、女優が好きなのかもしれない。
少し妬(ねた)ましい気持ちにはなったが、尋ねることにした。
「…………直美はこういう娘がタイプなのかしら?」
「ぜーんぜん、
キョウちゃんの方が100000000000000倍良いよ」
「あ、そう。じゃあなんでこんなもの観てるの?
私とのエッチじゃ不満なの?」
「ううん……そうじゃないよ……」
直美は考えるような顔をして、少し間を置くと言った。
「ねぇ、キョウちゃん、なんでキョウちゃんは、あたしの処女を奪ってくれないの?」
「えっ……?」
直美から告げられた言葉は実に意外なものだった。
恭子は、自身の体温が急激に下がるのを感じた。
「あたし達、付き合ってもう二年になるよね?
その間、キョウちゃんとは何百回もエッチしてきたけど、こうやって指入れあったことは一度もなかったよね?」
「そ……そうね……」
「キョウちゃんって処女なの……?」
「私も直美と同じ処女よ……」
直美と恭子は、これまで一度も膣を使ったセックスをしてこなかった。
そもそも入れる物がないのだから入れようがないのだが、このレズAVのように指を入れることはいくらでも可能だ。
しかし二人はそれすらもしてこなかったのである。
「そっかーまさか他の人と経験があって、処女じゃないのがバレるのが嫌だったから、避けてるのかなって思ってたんだけど、そうじゃなかったんだね♪」
「えぇ、もちろん違うわ。
直美以外の人とエッチしないわ」
「じゃあ、あたしの処女を奪って。
あたし、キョウちゃんに処女を捧げたい」
「…………」
恭子は即答することができなかった。
直美の気持ちは嬉しかった。
もちろん直美の初めては自分が貰いたい。
しかし恭子には、それができない事情があった。
「直美…………膣って何に使うものか分かってる?」
「うーんと、たしか赤ちゃんを作るためのものだよね?」
「そうよ。そして赤ちゃんを作るためには、女の人の膣に男の人の醜い男性器を突っ込んで、精子と呼ばれる汚い液体をぶちまけないといけないの」
「うっ…………」
恭子の説明を聞き、直美はさも気持ち悪そうな顔をしている。
「想像してみて、あんな気色の悪いものを自分の膣内に入れられて、臭くてベタベタした排泄物を流されたら、どんな気持ちか」
「やだっ! やめて、キョウちゃん! 気持ち悪い!!」
直美は頭を振り、恭子の言葉を想像しないように必死だ。
「ごめんね、直美。
私は膣に物が入る感触を経験したくないし、
直美にも経験してもらいたくないと思ってるの。
その動画みたいに女同士で指を入れ合うこともできるけど、その感触は男性器が入る感触と一緒なのよ。
直美はそれでも私に指を入れたい? 入れられたい?」
「絶対やだーーーーーー!!!」
そう言い直美は急いで、
再生している動画を閉じてしまった。
「ハァハァ、ハァハァ…………」
息を荒くして直美は震えている。
恭子はそんな彼女の身体を抱き締めると優しくキスをした。
「ちゅ…………直美、ごめんなさい。嫌なこと想像させちゃって……」
「ううん……あたしこそ、変なことお願いしてごめんね」
直美は恭子の身体を抱き締め返すと言った。
「ねぇ、キョウちゃん、ご飯は後にしてこれからエッチしよ? あたし、キョウちゃんとエッチして、この気持ち悪さを消したい」
「もちろん良いわよ。直美が余計なことを考えないようにいっぱい気持ちよくしてあげるわ」
「ちゅっ♡ ありがとうキョウちゃん♡ 大好き!♡」
そうして直美と恭子は寝室へと消えていった。
それから二人で三時間ほど愛し合った後、戻ってきたのだが、クジラ汁を作る時間がないことに気付き、
電子レンジでコロッケと竜田揚げをチンして食べたのであった。
※※※
寝室で幸せそうな寝顔を浮かべて眠る直美を見て、
恭子は思う。
(直美、ごめんなさい。私、また嘘を付いてしまったわ)
恭子は誤魔化していた。
彼女は膣を使うことに、
実はそこまで忌避感を抱いてはいなかった。
恭子が抵抗があったのは、直美の処女を奪うことだ。
別に処女に価値があると感じている訳ではない。
単純に催眠状態にある直美の処女を奪いたくなかったのだ。
催眠状態の直美は、本当の直美ではない。
元々は男性に興味を持つ、普通の女の子だったのだ。
恭子の理想は、催眠に掛かっていない直美が自らを受け入れてくれることだ。
しかし、それは絶対に起こり得ないこと。
催眠を解けば、直美は確実に自分を嫌い、離れて行ってしまうだろう。
本当は直美と処女を捧げ合いたい。
だが催眠状態にある直美の処女は奪えない。
奪えば、それはレイプになってしまうからだ。
逮捕される恐れがあるから言っているのではない。
恭子が自分自身を許せなくなってしまうからだ。
恭子はこれからも催眠状態の直美と生き続けていくだろう。
直美の催眠が解けるその日まで。
そして彼女の終わりなき贖罪は、
彼女の命が絶えるまで続くのだ。