三カ月後……
〇✖大学の部室内、病院を退院した真里は、
恭子と共に、四月に発表される新作デザインの打ち合わせをしていた。
「こんなものでどうかしら? 真里ちゃん」
パソコンの画面を見つめる真里に恭子は尋ねる。
「さすが恭子さんです! スタイリッシュで個性的で、それなのに無難に日常でも使えそうなところが良いですね!」
「そう? そこまで褒めて貰えて嬉しいわ」
二人が見つめる画面には、肩幅とウエストが広く作られ、左側にボタンが付いているシャツのデザインが映っていた。
女性が着るには、少しだけ無骨なデザイン。
ボタンの付いている位置からして、これが男性物であるのは明らかであった。
「ありがとうございます。わがまま言って作ってもらって……」
頭を下げてお礼を言う真里。
「ううん、気にしないで。いつも真里ちゃんには協力してもらってるし、
入院中でもHPの更新や、展示会のポスターを作ってもらって、私の方こそ感謝してるわ」
恭子の言うように、真里は入院中、
病室にノートパソコンを持ち込み、いつも通り活動を続けていた。
恭子はけが人に作業をさせることに反対だったのだが、
真里が「自分にしかできないことなのでやります!」と強く言うので仕方なく任せていたのだ。
しかし恭子も恩を受けてばかりの性格ではない。
何かお礼をさせて欲しいと伝えたところ、
真里は色々と考え、やがてパッと思いついた顔をし、
男性用のデザインも考えて欲しいと要望を出した
思わぬ要望に驚く恭子であったが、
まだ時間があったこともあり、引き受けることに。
その結果、LILY初の男性用ウェアが作られることとなったのだ。
(この服を誠くんが着たらどうなるだろう……? あ~早く見てみたいな~❤
真里は来(きた)る日を心待ちにしていた。
※※※
翌、四月。
〇✖メッセの個別ブースでは、
サークルLilyの春夏新作モデルの発表会が行われていた。
既にサークルの噂は大きく広まり、過去三回に比べ一番の盛り上がりを見せていた。
注目を集めたのはLILY初の男性用ウェアである。
モデルになっているのは、もちろん桐越誠。
初めは難色を示していた誠であったが、
真里がどうしてもと言うので、渋々モデル役を引き受けていたのだ。
端整で美しい顔立ちの彼が、恭子がデザインした男性服を着ているとあって、
会場を訪れた女性客は、その姿に心を奪われていった。
買う予定になかった男性服を、こぞって買う人の姿も見られ、その日の売り上げは女性服・男性服合わせて過去最高額となった。
「まさか、あのマコちゃんが、あんなにカッコよくなるなんてびっくりだよね……」
「うん……ずっと女の子の服着てたから全然気が付かなかった……」
毎日のように誠と顔を合わせていた女性部員達も、彼の変貌に驚いており、
今までターゲットにしていなかったにも関わらず、しきりに会話をしようと取り囲む場面も見られた。
そして今年のサークルへの入部希望者の数であるが……
大学郊外からの希望も多く、その数は女性だけで20名以上にも上った。
思わぬ反響に驚くメンバー達。
大学からの評価は鰻登りで、より広い施設への移動も検討されることとなった。
※※※
何もかも上手くいっているように見えるサークルLILYであったが、リーダーの恭子はある不安を抱えていた。
それは誠がノーマルな男性に戻ってしまうかもしれないという不安……。
今回の男性服モデルの打診も、彼も初めは渋っていたのだが、その後は特に嫌がる様子もなく、女性部員から着て欲しいと言われれば、素直に着るようになっていたのだ。
以前の誠だったら、もっと嫌がっていたであろうに……。
今回のことが彼の精神に影響を与えているのは明らかだった。
女性部員に囲まれ談笑する誠を見つめながら恭子は考える。
(誠くんに催眠術を掛け直すべきかしら……)
誠が完全に男性に戻ってしまったら、過去の記憶を取り戻す危険がある。
そうなれば直美との破局は免れない……
恭子にとって、この問題を解決すること自体は、実に簡単なことだった。
誠は恭子を心から信頼している。
久しぶりに催眠術を掛けてみないかと誘ったなら、彼は何の疑いもなく受けてしまうだろう。
だが恭子は、毎日のように罪悪感と自己嫌悪に悩まされており、それをすることを躊躇(ためら)っていた。
直美との関係を維持するため、誠を女性化させるなど、もはや彼女には出来る気がしなかったのだ。
万が一誠が男性に戻り、記憶を取り戻したなら……
――恭子は覚悟を決めようとしていた。
恭子がそのような考え事をしていると、真里が女性部員と誠の間に割って入った。
どうやら誠を他の女性部員に取られていることに、限界が来てしまったようだ。
彼女は誠を独り占めするため、彼の服の袖を引っ張り、外に連れ出そうとしていた。
しかしそれに反発し、女性部員達も反対側の袖を引っ張り応戦し始める。
その間に挟まれ、
誠はなんとも困った表情をしていた。
そんな光景を見ていると、なんだか高校時代に戻ったような気がしてくる。
高校時代の誠は女子生徒の憧れの的で、今のような光景が日常茶飯事だったのだ。
そして同時に思い出す、女湯で誠に肩を寄せる真里の姿を……
最近の二人の親密さを見ると、
誠に男性服を着せたのは、真里の作戦だったのではないかと考えるようになってきていた。
女に興味のない誠を振り向かせるために、一旦彼を普通の男性に戻し、自分に興味を持たせた後、徐々に女性に戻していく。
恭子には、レズビアンの真里がなんとなくそんなことを考えているような気がしていた。
この勘が正しければ、彼女に任せておけば、誠は再び女性化し、自分は何も手を下さなくても、問題は解決されることになる。
例えこの勘が外れても、彼女の狙いが上手くいかなくとも、その時はその時だ。
それで破滅を迎えるのだったら仕方がない。
素直に罰を受けることにしよう……。
恭子は荷物をまとめると足早に部室を後にした。
※※※
それから時は流れ、季節は夏。
蒸し暑い熱帯夜の中、例年通り納涼祭は開かれようとしていた。
去年と同じように、
待ち合わせ場所に集まる誠と真里。
真里は去年同様、水色の浴衣を着て来たのだが、
誠はなんとグレーの男性用の浴衣を着ていた。
あれから催眠の効果がさらに薄れてきたのか、彼は徐々に男性の姿で過ごすことが多くなってきていた。
まだ肝心な記憶は取り戻していなかったものの、彼が催眠の影響下から解放されるのは時間の問題であった。
そんな重大な問題を自分が抱えているとも知らず、誠は真里と手をつなぎ、屋台巡りをしていた。
(はぁ~幸せ❤ 誠くんとこんな風にお祭りに出れるなんて……やっぱりあの時、諦めないで良かった~)
真里は初めて誠とこの街を歩いた日のことを思い出していた。
誠に告白して振られ、一度はLILYに入ることを断念しようと思った。
もしあの時そうしていたら、誠とこうして過ごすことはできなかっただろう。
「ん? どうしたの? 真里さん」
微笑みじっと見つめる彼女を不思議に思い、問いかける誠。
「ううん、なんでもないですよ~
誠くんとこうしてお祭りに参加できて幸せだなって思っていただけです!」
この頃には、真里は誠のことを“くん”付けで呼ぶようになっていた。
他の女性部員の協力の元、
少しずつ誠に男装させる機会を増やしていき、
今では彼の方から自発的に男性服を着るようになり、それに合わせて、呼び方も変えていったのだ。
「うん……僕も真里さんとこうして過ごせて幸せだよ」
そう言いにっこりと微笑み返す。
雪山で遭難したあの日。
誠は真里を救護しながらも、自分にとって彼女が如何に大切な存在であるかを認識していた。
骨折した彼女を背負い、避難小屋に向かうのは過酷な作業であったが、
そこまで本気で助けたいと思うのは、やはり彼女に対して特別な感情があるからなのだろう――
この日、彼はあることを決意していた。
※※※
川辺で花火を眺める二人。
前年は遅く来てしまったため、どこも場所を取ることはできなかったのだが。
今回は予め場所をリサーチし、人が少なくて見晴らしの良いところを選んでいた。
ヒューン……ドーーーン!!
パラパラパラ……
例年通りの美しい天空の花々が、祭りに参加する人々を歓迎する。
二人は無言で、ただこの雰囲気を楽しんでいた。
大切な存在がすぐ隣にいる――言葉がなくとも、それだけで心が温かく満たされる気がした。
そんな雰囲気の中、誠が口を開いた。
「あの、真里さん」
「はい?」
「実は今日、伝えたいことがあるんだよね」
「伝えたいことですか?」
真里は屋台で買ったフルーツジュースのストローを口に含みながら、誠の言葉に耳を傾けていた。
「前に雪山で遭難したことがあったけど、実はあの時からずっと考えていたことがあってさ……」
「大変でしたよね……どこ向いても真っ白で、あんな状況なのに避難小屋見つけるなんて、やっぱりすごい! って思いました」
にっこりと笑う真里。
しかし誠はその笑顔に合わせることなく真剣な表情を崩さない。
真里はその表情を見て、初めて彼がこれからとても重大なことを伝えるつもりなのだと理解した。
「真里さん……僕は君のことを愛している……
あの時、もし君が死んでしまったらと考えたら、心の底から冷たく刺すような気持ちが込み上げてきたんだ……
そして無事、避難小屋についてぐっすりと眠る君の姿を見て心の底からホッとした。
男性が好きな僕が、どうして女性の君に対して、そこまで強い感情を抱くのだろうとずっと考えていた……
最初は単純に大切な友達だからと思っていた。
誰に対しても同じように思うじゃないだろうかとも考えた。
でも違う……
僕は君だから、そこまで強い感情を持ったんだって気づいたんだ」
真里は誠が自分に伝えていることが信じられなかった。
身体が震え、胃の奥底から込み上げてくる感情にえずいてしまいそうだった。
「真里さん……僕と付き合ってください」
真里は顔を真っ赤にしていた。
涙腺が崩壊し、涙が溢れ出していた。
高校に進学してから、ずっと好きだった先輩。
二度告白して振り向いてもらえなかった想いの人。
それが今、相手の方から告白してくれたのだ。
彼女はあまりの嬉しさに、思うように声が出せなかった。
だが、どんな声が出てしまってもいい。
たとえ言葉にならなくても、彼には受け入れてくれる優しさがある。
真里は誠に抱き付くと、震える声で応えた。
「ふぁ……ふぁぃ……おにぇがい……ううっ……します……」
非常に聞き取りづらい返事ではあったが、誠は彼女の態度で告白を受け入れて貰えたことを理解した。
そして震える彼女の身体を抱きしめると、
「ありがとう、真里さん……これからも、よろしくね」
そう言い、唇にキスをした。
※※※
こうして二人は結ばれることになったのだが、そんな彼らを冷たく見つめる者達がいた。
「……」
「……小早川さん、あの二人です」
角刈り頭の男が、派手な服装をした女性に伝える。
葉巻を口に加え、フーっと煙を吐くと女は言った。
「まーだ、暗くてよく見えないけど、スリムなのは分かるワネー。とりあえず連れてきて頂戴。絶対逃がすんじゃないワヨ?」
「ハイッ!」
総勢五名ほどの男達が一斉に返事をする。
彼らはどれも鍛えられた屈強な身体つきをしていた。
真里、大学二年の夏……
結ばれたばかりの二人の赤い糸を引き裂こうと、
黒い悪魔たちが忍び寄ろうとしていた……