何もない漆黒の空。
ぼんやりと光る平らな地面。
風の流れも、かすかな音もない、
そんな静かな空間の中を、誠は夢遊病者のように歩き続けていた。
彼の前方の空に一発の火の玉が打ち上がる。
少し間を置き、それはドーン!っと大きな音を立てると、パラパラと小さな爆音を轟(とどろ)かせ、 七色の光を辺り舞い散らした。
その光が誠の瞳に反射する。
彼は足を止め、無言で光を見つめた。
「……」
反応はない。心の無い人形のように、徐々に消えゆく火花を見つめるだけ。
しかしその光が完全に消えると、彼の肌に少しずつ色味が戻っていった。
ガラスの球体のような瞳にも、人間らしさが戻っていった。
「ここはどこだろう? 僕はどうしてここに?」
正気を取り戻し口を開く。
辺りを見回し、なぜ自分がここにいるのかを考えているようだ。
先ほど見た七色の光を思い出す。
誠にとって、それは賑やかで楽しいイメージを思い起こしてくれるもの。
そのイメージが、過去の体験に結び付く。
「そうだ……僕は真里さんと花火を見に来たんだっけ……」
そう呟いた瞬間、
どこを見ても真っ暗で、何もなかった空間は、
彼の足元を中心に水の波紋が広がるように、〇✖納涼祭の風景へと変わっていった。
その壮大な光景を目の当たりにして、誠が動じる様子はない。
さも当たり前のように見つめるだけで、
この世界に何の疑問も抱いていない様子だ。
眺めが完全に変わると、彼は内ポケットからスマホを取り出し時間を確認し始めた。
(今、何時だろう? 真里さんはもう着いてるかな?)
誠は真里と合流するために、ここに来たと思い込んでいる。既に彼の気持ちは完全に納涼祭へと向いていた。
(なんで僕、ぼっーとしていたんだろう……走らないと待ち合わせの時間に遅れちゃう)
両側に立ち並ぶ雪洞(ぼんぼり)の道を進み、待ち合わせ場所へと急ぐ誠。
前方にひときわ大きな樹が見える。
古い御神木。しめ縄の色も実に神々(こうごう)しい。
その樹の下に真里の姿があった。
彼女は後ろで手を組み、猫が背伸びをするようにストレッチをしながら御神木を眺めていた。
誠は背中を向けている彼女に近づき声をかけた。
「お待たせ、真里さん」
声に気づき、笑顔で振り向く真里。
彼女は、薄ピンク色の花飾りを髪に挿し込み、
水色の生地に朝顔の模様が施された浴衣を着ていた。
雪のような白い肌に、少しキリっとした顔立ち、大人びた雰囲気とあどけなさが調和した、まさに天女のような美しさであった。
「わぁ~!誠くん、浴衣似合うね!すごいカッコイイ~♪」
目をキラキラとさせて、誠の容姿を褒める。
彼女の姿に見惚れていた誠であったが、一足早く褒めちぎられてしまったようだ。
彼はそんな彼女の言葉に照れ笑いを見せながらも、自身が着ている服を確認した。
男性物のグレーの浴衣に、ベージュの腰紐。
足にはスタンダードな黒の鼻緒が付いた草履を履いている。
(あれ……? 僕、こんな浴衣持っていたっけ?)
その時、彼の脳裏に女物の浴衣を着た自分の姿が浮かんだ。
長く艶のある髪を綺麗に結び付け、髪飾りまで射し込んでいる。
御淑やかに佇んでいるものの、あどけない笑顔で微笑む様は、それが本来の自分だと言わんばかりに自然な成りをしていた。
(なんでこんな想像……男の僕がそんな女の子みたいな服、着る訳ないじゃないか)
ごく自然に思い浮かんだ己の女装姿に、彼の息は荒くなった。
「どうしたんですか?」
真里の呼びかけに誠は我に返る。
「ううん……なんでもないよ。真里さんもその浴衣似合ってるよ」
「えへへ♡そうですか~? 今日のために恭子さんに選んでもらったんですよ! 誠くんに褒めてもらえて良かった~♡」
嬉しそうに身体を左右に振り喜びを表現する愛おしい恋人。
それは普段の真里からすると、ちょっぴり無邪気なものに思えた。
※※※
並んで護国神社へと向かう二人。
和やかな雰囲気で、手振り身振りを交えながら、大学のこと、サークルのことなど様々なことを話した。
そんな中、誠は薄暗い道の先に、下りの階段があることに気がついた。
「真里さん、この先階段だから気を付けてね」
「はーい」
注意はするものの、
彼女は話に集中していて上の空だ。
「真里さん、そこ……」
ガクンッ!
言った矢先、真里はバランスを崩し階段を踏み外してしまう。
「危ないッ!」
前のめりになる彼女を、全身で受け止めようと走り出した。
が、その瞬間、急に真顔になり、
アスリートのような卓越された動きで体勢を戻そうとする真里の姿が映った。
誠は遅れて彼女を抱き締めたものの、
既にバランスを取り戻していた真里は、動じる様子もなくキョトンとしていた。
彼女はおそらく誠のフォローがなくとも転倒することはなかったであろう。
普段おっとりしている真里としては考えられないほど機敏な動きであった。
「……あっ、ごめん」
慌てて誠は身体を離そうとする。
が、真里は誠が離れていってしまう前に、手を伸ばし抱きしめた。
「ありがとう、誠くん。あたしのこと、助けてくれようとして」
「う、うん……でもその心配はいらなかったね」
「ううん、たしかにそうだけど、助けようとしてくれたのが嬉しかった」
真里は一旦誠のことを離すと、手を伸ばした。
「また転ぶと危ないから、手、繋ご?」
「うん、そうだね」
求めに応じ手を差し出す誠。
真里はその手をギュっと握ると、優しく自分の方へと引き寄せた。
誠の瞳に日に焼けた彼女の手の甲が映る。
色白の真里にしては、少し茶色い。
誠は少し気になったが、それ以上思うこともなく、階段を降りるのであった。
※※※
護国神社の拝殿前。
賽銭箱に5円玉を投げ入れた二人は、鈴緒に手を伸ばしていた。
「誠くん、一緒に鈴を鳴らそー♪」
「うん、いいよ」
一緒に持ち、鈴を鳴らす。
手を離し、同時に二礼二拍手一礼をする。
元気が有り余っているのか、
真里は少し過剰気味に手を叩いており、
両手から発せられる音は、この群衆の中でもはっきりと聞こえるほどであった。
真里はこんなにも大胆だっただろうか?
先程の階段での出来事といい、今日の真里はなかなかパワフルだ。
控えめな自分をリードするように立ち回ってくれるし、これでは男女立場が逆ではないかと、誠は感じていた。
「誠、どうしたの?」
戸惑う彼の様子に気づき、真里が尋ねてくる。
「えっ?あ……大丈夫。な、なんでもないよ」
小さな声で返事をする。
すると真里は誠の腰に手を回し、身体を支えるようにして再び尋ねた。
「本当に平気?どこか悪いんじゃない?座るところ見つけて少し休もっか?」
真里が顔を覗きこむかのように見つめてくる。
彼女のこの態度に、誠はなぜか懐かしさのようなものを感じた。
(あれ……?この感覚、どこかで……)
思い当たる節はない。
真里とよく接するようになったのは大学に入ってからだ。それ以前に自分とこうして接してくれたような人は……。
(………………)
思い出せない。
腑に落ちない気持ちはあったが、
誠は再び真里に平気だと伝えると、二人で元来た道を戻ることにした。
※※※
お参りを終えた誠と真里は、屋台巡りをしていた。
ぶらりと屋台を眺め歩き、
クレープとラムネだけを買うと、〇✖川の畔まで進んだ。
だが、どこも人だかりでいっぱいである。
二人は話し合い、近くの公園へと向かうことにした。
植林に囲まれ、花火が見えにくい場所のためか、公園にいる人の姿は疎らであった。
二人は空いているベンチに座り、花火が打ち上がるのを待つことにした。
先程購入したラムネの栓を開けようとする真里。
プシュュュュュュュュュ!!!!!
「ふあああぁーー!!たぁぁーー!!わぁぁーー!!」
ラムネの口から勢いよく炭酸飲料が吹き出る。
彼女は慌てて吹き出たラムネを手で掴んで瓶の中に戻そうとしたが、勿論意味などない。
あっという間に顔も手もラムネで濡れてしまった。
大変気の毒な状態ではあるのだが、あまりにコミカルな彼女の動きに、誠は思わず笑ってしまった。
「ははは、相変わらずだな」
「もぉー!笑い事じゃないよー」
誠は笑いつつも、ポケットからハンカチを取り出し、彼女の身体に付いたラムネを拭き始めた。
真里も笑われて不満を言ってはいるものの、含み笑いだ。
そこで誠は気づく。
(あれ……?僕、今、相変わらずって言った?
なんで?こんなこと初めてなのに……)
先程からおかしい。
記憶と感覚が一致しないのだ。
真里とこうしてラムネを飲むのは初めてのはず……。
異変に気づく誠であったが、
真里を心配させまいと、表情だけは崩さないようにした。
ラムネを拭き取って貰うと、真里は誠に礼を言い、満面の笑みを浮かべて、クレープを頬張り始めた。
「はむはむ……このクレープおーいしー❤」
その様子を見て、誠の脳裏に彼女が昔から甘いものが好きだったという記憶が流れてくる。
なんの記憶だろうか?
誠は和やかな表情は崩さなかったが、その頬には冷や汗が滲んでいた。
ヒューーーーーーーン!!
やがて大きな音を立てて、七色に輝く花火が夜空に舞い上がった。
「あっ、始まったね」
ドーーーーーーーーーン!!!
大輪の花が空に広がり、音の振動が彼らの元に届く。
「たーまやー」
「たーまやー」
同じタイミングで同じ言葉を口にし、顔を見合わせ笑い合う二人。
そのまま優雅に浮かぶ光の舞踏会に彼らは魅了されていった。
真里はクレープを食べ終わると、誠に身体の調子を尋ねた。
「誠、身体の調子はどう?」
「大丈夫。全然平気だよ」
「ホントにー?誠はすぐに痩せ我慢するタイプだからね。ほら、あたしの太股、枕にして寝なよ」
「そんな、良いって……」
「良くても寝るの。あたしに心配かけさせたくないなら素直に寝て。そしたらあたしも安心するから」
「もぉ、強引だな」
渋々、真里の太股に頭を乗せる誠。
彼女の強引な優しさに、なぜか懐かしさを感じてしまう。
まるで以前、同じことがあったかのように。
「あれ……?誠……どうしたの?」
「えっ?」
真里が再び心配そうな目で見つめてくる。
誠がよく分からないといった表情で見つめ返すと、彼女は彼の目の下へと指を伸ばした。
「だってほら、涙。どうして泣いてるの、誠?」
そう言われて初めて気づく。
彼女の指は誠の涙で濡れていた。
……どうして自分は泣いているのだろう?
誠は溢れ出る涙を手の甲で拭うと答えた。
「きっと……花火があまりに綺麗で、感動しちゃったんだと思う」
「あっ、そっか!誠、『昔から』涙もろいもんね」
「うん……」
誠の中の違和感がさらに大きくなる。
しかし彼は、そんなことよりも、この幸せな雰囲気をもっと感じていたいと思い、目を閉じることにした。
頭部に感じる彼女の太股。
昔、貧血か何かで、大切な誰かにこうしてもらったことがあったような……。
そのことを想うと、再び涙が溢れてきた。
「ねぇねぇ」
「んっ?」
「また来年も、こうして花火見れるかな?」
「うん、もちろん……また来年も」
そう答える誠の頭を、彼女の手が優しく撫で上げた。
「ふふふ、楽しみ~♪ また来年も一緒に花火見ようね、マ・コ・ト!」
「!!」
声を聞き、誠は思わず唾を飲み込んだ。
『真里のものではない』、しかしどこか聞き覚えのある声だ。
彼は恐る恐る目を開けた。
そこには、いつも会ってるはずなのに、とても懐かしい笑顔。
悪戯な表情で誠を見つめる直美の姿があった。
「……直美!」
※※※
勢いよく身体を起こし誠は目を覚ます。
そこは旅館の寝室の風景。
窓辺から朝日が優しく挿し込んできていた。
(なんだかすごく辛い夢を見ていたような気がする)
内容は全く思い出せなかったが、目の周りが涙で濡れているのが分かった。
余程、胸に刺さるような夢だったのだろう。
お気に入りの猫のぬいぐるみを抱きしめる腕も自然と強くなっていたようだ。
(ぬいぐるみ?ここは私の部屋じゃないし、そんな物あるはず……)
そこで誠は真里を抱き締めていることに気づいた。
すぐに手を離し、恐る恐る彼女の様子を窺う。
「ん……」
圧迫していたものがなくなり、彼女は目を覚ます。
「ん? もう朝ですか?」
「ごめん、起こしちゃって……。私、強く抱き締めてたみたいだけど大丈夫だった?」
その問いに真里は微笑み答える。
「えぇ、大丈夫でしたよ。逆に心地よく眠れました!」
苦しくはなかったのだろうか?
そういえば真里は普段から人と接触したがる癖があった。もしかしたら、そういうことで心地よさを感じる体質なのかもしれない。
気になりはしたが、誠はとりあえず良しとするのであった。