恭子が直美にかける催眠の内容を変えてから約二ヶ月経った頃、
直美は悩んでいた。
放課後、いつものようにテニス部に通い、練習をしていたときのことだった。
「危ない! 直美!」
ドン、という音がして右肩に鈍い痛みを感じた。
相手が打った硬式のボールが直美の右肩に当たったのだ。
「大丈夫?」
心配そうな顔をした友人たちが直美にかけよってくる。
「あはは、ごめん大丈夫、ぼーっとしてた」
直美は笑って、集まってしまった友人たちに心配ないというところを見せる。
「もー最近直美いつもそうだよ、どうしたの?」
観察力の鋭い一人の友人が、直美に笑いながら聞いてくる。
顔は笑顔でも、心配していることはひしひしと伝わってきた。
「ごめんごめん、なんでもないの」
直美はそう言い、飛んで行ったボールを拾いに行く。
(おかしいな…)
直美は最近、部活に集中できないでいた。
原因は友人たちのスコートだった。
強い風が吹き、近くにいた友人のミニのスコートが翻った。
直美は無意識にそちらに視線を向けてしまう。
よく焼けた肌、健康的に張りのある太もも。
それがスコートからこれ見よがしに伸びている。
瞬間、直美は首をぶんぶんと振って邪念を振り払った。
(何考えてんの、あたし! )
最近の直美は部活中も友人たちの脚が目に映るたび、集中をかき乱されていた。
これまでこんなことはなかったのに。しかも、女の子に対して。
日は落ち、暗くなった頃、部活帰りの直美は歩きながら一人で悶々としていた。
(なんでこんなに女の人に目がいっちゃうんだろう、今までこんなんじゃなかったのに)
(この前も、キョウちゃんの太ももに目がいってしょうがなかった)
(露出の高い服を着てる人とか見ると、恥ずかしくなっちゃうし)
(このままエスカレートしたら、
いつかあたしは女の人に対してエッチな気分になっちゃうんじゃ…?)
ふと、頭に女性同士がキスをしている姿が思い浮かび、直美は慌ててその想像をかき消した。
(女同士なんて気持ち悪い、変態みたい)
様々な嫌な考えが頭の中をぐるぐるとまわる。
元々、性的にノーマルな趣向を持つ直美が、恭子の催眠によって女性に興味を持つように暗示をかけられていたとしても限度があった。
いくら男性に対して嫌悪感を抱くようになろうとも、
基本、恋愛やセックスは男女で行うものだという認識が直美にはあり、
長年の生活で培ってきた経験が、深層心理で女性同士の恋愛への拒否反応を示したのだ。
ましてや直美には誠という最愛の恋人がいる。
その誠を差し置いて女性同士の触れ合いをイメージするなど、直美の一途な性格が許さなかったのだ。
家に着いたとき、直美はついに独りごとを言った。
「あたしが好きなのは、誠なのに…」
誠への愛の深さと、恭子からの催眠の影響で、直美は自己嫌悪に陥り始めていた。
※※※
そのころ、家族も直美の変化を感じつつあった。
「直美、どうしてお父さんの下着と自分の下着を別々の籠に入れてるの?
洗濯機二度回さなきゃいけないでしょ」
「やだ、お父さんの下着と一緒に洗わないでよ。臭いが移っちゃうでしょ!」
「何、その言い方、お父さんに失礼でしょ!」
「まぁまぁ、母さん。直美もそういう年頃になったんだよ。
母さんも昔はそういう時期があっただろう?」
「う~ん、そう言われてみれば、そういう時期もあったかもしれないわね」
「大学生にでもなれば自然と直るものだし、あまりきつく言わなくても良いんじゃないかな?」
「もーう、お父さんは直美に甘過ぎるのよ」
「ははは、愛する娘だからな。でも直美、お父さんは寂しいぞ~」
直美の父親に対する反応を、
ただの反抗期としか思わない両親は、特に気に留めていなかった。
「おねえちゃーん! マルオカートで遊ぼうよ!」
「おっ! いいね~。ユウくんは前よりもマルカ上手くなったかな?」
「うん、いっぱい練習したからね! 今度は負けないよっ!」
直美には弟もいたが、そもそも弟のことは男性としてみていなかったので、嫌悪感を持つことはなかった。
そのため、変化を感じつつも直美のことを異常だと感じる者はいなかった。
※※※
朝が来て、学校に着いた時も直美の憂鬱は晴れなかった。
「はぁ…」
直美は大きくため息をつくと、腕で枕を作り机の上に突っ伏した。
横を見ると、またクラスメイトの短いスカートが目に入る。
「直美、どうしたの?」
ハッとして起き上がると、そこにいたのは恭子だった。
「キョウちゃん…」
恭子は見るからに心配そうな顔でこちらを見ていた。
実際のところ心配しているのではなく、
ただ様子を見に来ただけなのだが、直美にそれがわかるはずもない。
「ううん、なんでもない、最近ちょっと調子悪くてさ、それだけだよ」
「本当?」
恭子は表情から直美の状態を読み取っていた。
「だったら、また催眠で解決してみない?」
恭子の意外な提案に驚く直美。
「催眠…?」
「そう、好き嫌いをなくせたように、調子もよくできるかも」
「ほんとかなー」
直美は少し笑顔を見せた。
自分の変化の原因が催眠にあると気づいていない直美は、
恭子の提案を受け入れ、放課後恭子の家に行くことにした。
※※※
二人で歩く帰り道、恭子は考えていた。もちろんこれからかける催眠についてだ。
階段を登っていくとだんだんと、直美との距離が離れていくことに気づく。
直美が、ゆっくりと登っているのだ。
恭子は何も言わずに登り切ると、いきなり振り返った。
ハッとして直美はすぐに目を逸らしたが、
直美のいる位置から恭子の下着が見えることは、言わなくてもわかっていた。
(効いてるわね)
恭子は内心微笑んで、傍目には何事もなかったかのように振る舞った。
「どうしたの、先行っちゃうよ?」
「あ、うん、ちょっと待って」
直美は慌てて階段を駆け上がる。
二人は並んで家に向かった。
※※※
「最近あなたは女性のことで悩んでいますね?」
恭子はいつものように直美を催眠状態にさせ、ベッドの横から問いかける。
こくり、と直美は頷く。
「女性の肌ばかり見てしまうとか?」
恭子は直美にかけた催眠をもとに予想をして、直美の心理状態を当てていく。
その問いかけにも頷く直美。
「同じ女性なのに、女の人の身体に興味を持つのはおかしなことだと思っている?」
催眠状態にありながらも、自分の心を見透かされ、驚いた表情を見せる直美。
「ましてや、女同士のキスなんて論外、イチャイチャ抱き合うのは男女ですることで、女同士でするのは間違っていると思っているでしょう?」
全てを当てられて、気まずそうな雰囲気の直美。
ゆっくりと恭子の問いかけに頷く。
予想通りの答えだ。
恭子は直美に対して、女同士に興味を持つように暗示をかけてはいたが、
女同士への抵抗感を薄める暗示はかけてはこなかった。
自分は直美に助けられた時から、同性の直美に魅かれる感情を持っていたので、
そこまで抵抗感はなかったのだが、元よりその気のない直美は、
ずっと抵抗感を持ち続けていたのではないだろうか?
恭子はそう考えていた。
以前に比べて元気のない直美、原因がそうであるならば、解決方法はある。
恭子はいつものように、絹のように柔らかい声音で直美に語りかけた。
「直美みたいな年頃の女の子が同性に惹かれるのはよくあること。
女子校の生徒だって女の子同士でイチャイチャしてるでしょ?
あなたが嫌悪感を抱く必要はないの」
恭子は横になった直美に優しく語りかける。
直美は聞き入る様に恭子の言葉に耳を傾けている。
「女性の体に興味があるのも普通のこと、
女の人の肌って綺麗で良い匂いがして柔らかそうでしょ?
他のみんなも言わないだけで、心の中で同じことを思っているのよ?」
直美から、先程の気まずそうな雰囲気が消えている。
今までおかしいと思っていたことを、普通のことと諭され安心してきているようだ。
「本当はみんな、女の子にエッチな感情を抱いている。
みんな恥ずかしいから表に出さないだけなの。
女の子同士で恋愛やエッチをしている人達は正直者。
直美だって、女の子にエッチな感情を抱いて良いのよ?」
直美は恭子の声を聞き、恥ずかしそうにモジモジしている。
エッチという言葉に反応してしまったようだ。
「見て、直美」
恭子は寝ている直美の枕の横に座り、スカートを腰の高さまで上げた。
恭子の下着がスカートの生地の下からはっきりと見える。
直美は顔を赤くしつつも恭子の肌と下着をじっと見ていた。
「どう? ドキドキするでしょ? でもそれは全然変なことじゃないのよ?
むしろ普通のこと。今のエッチな気持ちを受け入れて、直美」
直美は恭子の下着を見ながら徐々に呼吸を荒くしていく。
(そろそろ最後の仕上げね)
恭子はベッドから立ち上がり、直美をベッドの上に座らせると、
あらかじめ用意していた、水を張ったボウルとティッシュ、ライターを取り出してこう続けた。
「このティッシュ、これがあなたの感じている女性同士への抵抗感。
もうこんなに薄くてひらひらよ?」
恭子は一枚のティッシュを直美の目の前でひらひらと揺らめかせた。
そしてライターで火をつけると、
ボウルの上に持ってきたティッシュに火をかざす。
ティッシュはボッという音とともに、一瞬で燃え、まるで消えたように見えた。
細かな燃えかすだけがボウルの中に落ちる。
「はい、これで今までの嫌な気持ちはすべて消えました。
これであなたはすごく楽になったはずよ」
直美の表情が一瞬ほっとしたように見えた。
とりあえず、これで自分の変化を受け入れられるだろう。
恭子はいつもの方法で直美の催眠を解き、ゆっくりと起き上がった直美に問いかけた。
「どう? すっきりした?」
直美は自分の顎に手を当て、
少し考えるような仕草をした後、パァっと表情を明るくさせた。
「本当だ…すっきりしてる! ありがとうキョウちゃん」
「どういたしまして。親友だもん、当たり前でしょ」
そう言って微笑んだ恭子を、直美は尊敬と感謝の眼差しで見ていた。
なんて頼れる、優しい人なんだろう。
恭子はまた、自分の思い通りに事が運んだことを内心で喜んだ。
直美は今後、今まで以上に私を頼ってくるだろう。
恭子の計画は順調だった。
※※※
次の日の朝、恭子が学校の最寄駅から出ると、また後ろからとん、と押された。
「お、は、よ!」
「ちょっと直美、危ないじゃない」
恭子は笑いながら直美の頭をつついた。
「えへへー」
直美は昨日とは打って変わり、憑き物が落ちたかのように明るくなっていた。
その証拠に、直美はいつもより一本早い電車に乗って来たらしい。
「ねえ、昨日のテレビがさー」
「またテレビの話ー?」
二人が話していると前から来た自転車が二人の間をゆっくりと通って行った。
「なにあれ、端寄ってくれたっていいのにね」
恭子がそう言うと、直美は「う、うん…」と曖昧な返事をした。
直美は後ろを振り返っていた。
ペダルを漕ぐ、女性の長く伸びた脚。
直美はハッとして目線を戻すと、また歩き出した。
(さっきの女の人、すごく綺麗な脚だった….顔も童顔で可愛かったな)
ここのところ、綺麗な女性や可愛い女性を見ると、ドキドキとする。
(あの人いつもここ通ってるのかな?また会えるといいな♪)
直美は自然とそう考え、学校に着く頃にはもう忘れていた。
※※※
ある日、同じように恭子と直美の二人で学校に着くと、誠が前を歩いていた。
「誠、おはよっ」
「あ、おはよう直美、甘髮さん」
「おはよう桐越くん」
三人は挨拶を交わすと、並んで教室に向かう階段を上った。
「ねえ直美、明後日の土曜日さ、
おいしいプリン屋さんがあるって聞いたんだけど、どうかな」
誠が直美をデートに誘った。
「あ、ごめん、その日はキョウちゃんと遊ぶんだ。ねー」
直美は恭子に同意を求めた。
「ああ、そうなのよ、ごめんね桐越くん」
恭子は直美が誠より自分を優先したことに少しだけ驚き、誠に謝った。
誠は「そっか…しょうがないね」というと「じゃ」と自分の教室に向かって行った。
恭子は内心とても喜んでいた。
少しずつではあるが、直美と誠を離れさせる催眠も効いてきている。
正直、恭子の計画の中で誠は邪魔だった。
誠がいるから、直美が手に入らないのだ。嫉妬すらしていた。
直美を邪魔な誠のものではなく、自分のものにできる。
直美は無意識だが、
少しずつ誠より自分と遊ぶことの方が楽しくなってきているようだった。
前回の催眠から、直美は以前より恭子によく相談をするようにもなった。
恭子は直美を徐々に手に入れつつあった。
※※※
「あーお腹すいた! キョウちゃん、中庭で食べよー」
直美は恭子を昼食に誘った。
「ごめん先行っててー」
まだ四限目の片付けをしていた恭子は直美を先に中庭に向かわせた。
「わかった」
先に中庭に着いた直美は、
ベンチに落ちている花びらをはらい、弁当をそこに置いた。
長かった冬も終わり、あたりは暖かさを増してとても気持ちのいい陽気だった。
ぐーっとその場で背伸びをしていると、少し遅れて恭子が駆け寄ってきた。
(あ…綺麗…)
直美は木漏れ日の中、
こちらへ駆け寄ってくる恭子を見て、なんとなくそんなことを思っていた。
「綺麗……」
「へっ?」
「……あ、ごめんなんでもない!」
直美はつい考えていたことを口に出してしまい、赤くなる。
幸い恭子は聞き取れていなかったらしく、ベンチに座り昼食を広げている。
いつも直美は母の手作り弁当、
恭子は購買で適当に買ったパンや弁当を食べていた。
二人でベンチに座り、心地いい気温の中昼食を食べる。
恭子はフライドポテトを何本か食べると、
油と塩のついてしまった親指と人差し指を軽く舐めた。
(あ……)
恭子の薄い唇から覗く赤い舌、それが恭子の細く綺麗な指先を舐めている。
直美は胸がドキドキするのを感じ、目を伏せた。
「どうしたの?」
「あ…ううん、なんでもない」
恭子は不思議そうな顔をしたが、またポテトを食べ始めた。