それから数か月が経ち、年が明けた。
真里は、あの大雨の日以来、
誠への思いを封印し、新たな出会いにも目を向けるようになっていた。
ファッション誌を参考に服装にも気を使うようになり、以前と比べて、だらしない見た目はだいぶ改善されてきてはいたのだが……
※※※
(あ~ヤバイ……あそこの交差点にいる男二人カッコイイ……距離も近いし……そのまま手つなげ……手つなげ………)
その日、真里は教室の窓からじーっと外を見つめ、
横断歩道付近の雰囲気イケメンの男性二人に注目していた。
ニタニタと笑みを浮かべ、何を考えているか一目瞭然だ。
「あ~あ、真里ちゃん、また妄想始めちゃったみたいね……」
「ああいうのがなければモテるのにね~」
そんなクラスメイトの言葉は、真里の耳には入ってこない。
すっかり自分の世界に入り込んでしまっている様子だ。
(あっ、転んだ。背の高い方のお兄さんが、
転んだお兄さんのパンツに付いた汚れをはたいてあげてる!
ウヒヒ……ウヒヒヒ……フーー……御馳走さまでした)
このように元来の妄想癖が障害となり、まだ彼氏を得るには至っていなかった。
※※※
放課後、部室で毎度のように塞ぎ込む真里。
「はぁ~~やっぱり私には彼氏を作るなんて無理なのかな……」
ダメな理由は何度も指摘しているが、
なかなか直そうとしない真里に、弥生は少し呆れていた。
「まずは妄想止めなきゃね……
BLを嗜むのは構わないんだけど、表に出したらダメよ。
そうやって改善していくしかないんじゃないかしら?」
「そーだよねー………」
そう言うと、再び真里は元気なく机にへたり込んでしまった。
分かっていても、一度始めてしまうと止められない。
麻薬中毒者のお決まりのフレーズのようではあるが、
真里が彼氏を作るためには、まずこのBL中毒を治療する必要があったのだ。
《ガラガラガラガラ!!》
部室のドアが勢いよく開けられ、萌が慌てた様子で入ってくる。
「ねぇねぇ、真里真里! 大ニュース! 大ニュース!!
桐越先輩と藤崎先輩が別れたんだって!!」
「えっ!?」
突然の報に驚く真里。
「友達から聞いたんだけど、藤崎先輩の方から別れを切り出したらしいよ」
何かあったのだろうか?
あんなにも優しい二人が、揉める理由が思い浮かばない。
喧嘩をするような仲ではないはずだ。
たしかに以前に比べると、
一緒にいるところを見ることが少なくなったような気がするが、
単純にそれは受験で忙しいからだと思っていた。
真里が誠と直美のことを考えていると、
隣に座っている弥生が質問した。
「萌、二人が別れた理由は何なの?」
「えっとねー。正確な理由はまだ分からないんだけど、
巷では、桐越先輩の二股が原因って言われているらしいよ」
「「二股っ!!?」」
真里と弥生が一斉に声を上げる。
「待って、そんなはずない……
あの桐越先輩に限って二股だなんて……絶対にあり得ない……」
真里にとって、誠は理想の男性であった。
優しくて純粋で一途な性格。
そんな誠に最も当てはまらないワードが『 二股 』だ。
真里は、ショックで心臓を激しく動悸させていた。
「真里、落ち着いて……。ねぇ萌、それ本当の話なの?」
「さっき友達から聞いたばかりだから、本当かどうかは分からないよ」
「とりあえず、続きを聞かせて?」
「うん……去年の始め、桐越先輩の教室に、同じ学年の甘髪恭子って人が来て、それから家を出入りする仲になったんだって」
甘髪恭子の名前を聞いて弥生が険しい顔をする。
「甘髪恭子……あまり評判の良くない人物ね……」
「知ってるの? 弥生」
真里が尋ねる。
「えぇ……三年生で最も美人と評される人物よ。
ただ、黒い噂も色々あって、自らの美貌を使って男をたぶらかしては、
熱愛中のカップルの仲を引き裂いたり、気に入らない人がいれば、
自分に惚れている男を使って危害を加えたりするらしいわ……」
「そんな人が桐越先輩と……」
「あくまで噂話だけどね。なんでも大物政治家の娘らしくて、家も金持ちらしいわ。
桐越先輩のことだからお金やルックスで相手を決めたりはしないと思うんだけど……」
弥生の言うように、誠がステータスだけで相手を決めるような人物ではないと、真里も思った。
「じゃあさ~放課後、桐越先輩の後をつけてみない?
ちょくちょく家を出入りしているって噂だからさ
本当かどうか確かめてみたらいいじゃん」
「そうだね……そうしてみよっか」
真里はこのまま三人で憶測を立てても仕方がないと思い、
萌の案に賛成することにした。
※※※
放課後
真里、弥生、萌の三人は、
誠が下校するのを校門から少し離れた建物の角で待っていた。
「弥生、萌、ありがとね。私の個人的なことに付き合ってくれて」
「いいのいいの。真里にはいつも私の分のテト限定グッズ買ってもらっちゃってるし、たまにはこうやって恩返ししないとね」
「私は元々、こういう探偵っぽいこと好きだから構わないわ」
弥生は、刑事物・探偵物が好きなタイプのオタク女子だ。
本人は探偵気分で、十分ノリ気の様子だ。
「あれから、私も友達に聞いてみたんだけど、
やっぱり桐越先輩と藤崎先輩が別れたのは本当みたい。
これでもし、桐越先輩が甘髪恭子と付き合ってなかったら、実質フリーってことになるわね」
弥生が真里の反応を見ながら言う。
「うん……そうだね……」
真里はそれに対して、あまり大きな反応はしなかったものの、何か思うところがあるのか、迷っているような表情をしていた。
「あっ! 来たよ、桐越先輩」
双眼鏡で校門を監視している萌が二人に伝える。
いよいよ尾行が始まるとのことで、三人は気を引き締めた。
※※※
誠が一番初めの交差点に差し掛かる。
普段はここを右に曲がり駅まで進むのだが……
「……………」
「……………曲がらないね」
「うん、曲がらない……」
誠は交差点を曲がらず、まっすぐ進んでいった。
「これでますます黒に近づいてきたわね……」
弥生が探偵のように顎に手を添えて話す。
「でも、まだ甘髪恭子の家に行くって決まったわけじゃ……
別に寄るところがあるのかもしれないし……」
ソワソワしながら、真里が言う。
「でも、真里……こっちは甘髪恭子の家の方角だよ……」
事前に恭子の住所を調べてきたのか、地図を片手に指をさす萌。
そこは高級住宅街が立ち並ぶ、この街の一等地であった。
※※※
それから5分後………
誠は、高級住宅街の中でも、一際庭が広く立派な門構えの豪邸の前で立ち止まっていた。
門の前にあるインターフォンを押す。
数秒してロックが解除されたのか、門は自動的に開いた。
「まさか、あの家が…………」
「そう………甘髪恭子の家だよ………」
「噂は本当だったようね……」
誠は門を抜けると、そのまま玄関のドアの前で立ち止まっていた。
ゆっくりと装飾の施されたドアが開き、中から髪の長い美しい女性が姿を現した。
(……あれ? あの人は……)
真里はその女性に見覚えがあった。
直接、話をしたことはなかったが、直美とよく一緒にいる女性だ。
真里は二人がお昼休みに、学校の中庭で一緒にお弁当を食べている姿をよく見かけていた。
(あの人が、甘髪恭子だったんだ……)
真里からは、恭子と直美はとても仲のいい友達同士に見えていた。
「弥生、萌、あの人、藤崎先輩の友達だよ」
「えっ!? もっとダメじゃん、じゃあ友達の彼氏を奪ったってこと?」
「闇が深いわね………」
「で、でも最近も二人のこと見かけたけど、すごく仲良くしてたよ?」
真里の言葉に再び考え始める二人。
少しして、弥生が口を開く。
「それだと、藤崎先輩は単純に今でも何も知らないか、知ってて二人の交際を認めているか、どっちかになるわね」
「ふーむ、知らないで別れたんだったら、二股が原因ではなくなるよね? 他に別れる原因があったってことかな?」
「それは分からないわ。でも、どちらにしても二股の可能性は減ったことになるわね」
二人の会話を聞いたものの、真里はなんだか腑に落ちなかった。
例え、直美の方から別れを切り出されたにせよ、
本気で愛しているのなら、すぐに他の相手を見つけるのではなく、関係を修復するために全力を尽くすはずだ。
大雨の日、話した印象では、誠は本気で直美のことを愛している様子だった。
萌が言っていた通り、去年の始めからということは、
誠と真里が会話をした時点で、既に恭子の家に通っていたということになる。
真里には、直美のことを一途に愛していた誠と、今の誠の行動がどうしても一致しなかった。
「どうする、真里? 噂とはちょっと違う結果だけど……
藤崎先輩は二人の交際を認めていて、健全な関係ってことでいい?」
「……わからない。もう少し考えさせて……」
真里はその日、改めて弥生と萌にお礼を言うと、自宅へと帰ることにした。
まさか催眠術が関係しているなどとは、夢にも思わない真里にとって、誠、恭子、直美の3人の関係はあまりに複雑怪奇であった。
※※※
次の日の放課後
真里は昨日の件について、弥生と萌と話し合っていた。
「なるほどね、桐越先輩と甘髪恭子が付き合ってるってのは単なるデマってわけね」
結局、真里は誠を信じることにした。
年頃の男女が同じ家で過ごすというのは、あまりに怪しすぎる関係ではあったが、
誠の性格と過去の言動を考えると、何か特別な理由で通っていると思いたかったのだ。
「うん、直美さんが桐越先輩を振った理由は分からないけど、桐越先輩は本気で直美さんのことを愛していたし、付き合っている頃から、直美さんの友達とそんな関係にならないと思う」
「そう……それならそれで良いわ。
真里がそう思うのは、別に良いとして…………」
弥生は少し間を置くと、改めて真里の目を見据えて話した。
「……根本的なことを聞くけど、真里は今後どうしていきたいの?」
弥生からの唐突な質問。
弥生は、ここで真里の気持ちをはっきりさせるつもりだった。
真里は以前、「誠のことは吹っ切れた」と言っていたが、
本当に吹っ切れたのだったら、尾行を決断するわけがない。
元々は萌からの提案ではあったが、
昨日今日の誠への執着を見ると、気持ちが残っているのは明らかだった。
実際、弥生は誠と恭子は付き合っていると考えていた。
まず直美と誠が何らかの理由で別れ、
その後、恭子と誠が付き合うことになった。
正式に別れたにせよ、別れてすぐに付き合うのは気が引ける。
だから黙って付き合っている。
弥生はそう考えていた。
真里は昔から誠のことを好きだった。
好きというフィルターがかかっていて、誠を聖人君主のように思っている部分もあるのだろう。
そのため、出来るだけ健全な関係ということで結論を付けようと思った。
しかし、真里はその結論には賛同しなかった。
そうなれば、真里のためにできる弥生の行動は――
「桐越先輩と付き合いたいの? ただ噂の真相を知りたいだけなの?」
「私は……ただ桐越先輩を信じたくて……」
「じゃあ、多少疑問が残ったとしても、
ひたすら信じ続けていれば、真里の願いは叶うわ。
でも違うでしょ?
真里はまだ桐越先輩に気があるのよ。だから知りたいって思ってる。
もう藤崎先輩と桐越先輩は別れているんだから気にする必要はないわ。
桐越先輩が甘髪恭子と付き合っていないと思うのなら、思い切ってぶつかっていきなさい。
未練が残らないようにね」
「未練?」
「真里……来週には、もう三月に入るのよ?
私たちはあと1年この学校にいるけど、桐越先輩は来月には卒業。
告白するとしたらチャンスは限られてるわ。
タイムリミットは3週間後の卒業式まで。それまでに、どうするか決めなければいけないわね」
たしかに弥生の言う通りだった。
誠はおそらく〇〇大学に合格する。
真里のクラスは一般クラスのために、
高校卒業後は、就職か専門学校などに進学するパターンがほとんどだ。
真里の今の学力では、全国トップクラスの〇〇大学に合格するなど夢のまた夢。
学校も住む地域も違えば、もう誠とは会うことはできなくなるだろう。
だが、直美と別れた今なら付き合える可能性はゼロではない。
真里は告白するか、諦めるかの選択を迫られていた。
「…………よく考えてみる」
真里はそう言うと、二人に帰ることを告げ、部室を出て行ってしまった。
※※※
校門を抜ける真里の姿を、部室の窓からじっと見守る弥生。
真里はおそらく再度告白することを決めるだろう。
逆に今のまま誠が卒業してしまったら、
真里は気持ちを切り替えるのに、また長い時間を費やさなければならなくなる。
『やってしまったことへの後悔より、やらなかったことへの後悔の方が大きい』
これは弥生の好きな格言である。
誠と恭子が付き合っていても、付き合っていなくても、
告白することさえできれば、それで真里の気持ちは一旦リセットされる。
もちろん、真里の告白が上手くいけば何も言うことはないのだが、
例え上手くいかなくても、真里にとって、それがより良い結果へとつながるだろう。
弥生はそう考え、来(きた)る日の友人の成功を、部室の壁に貼ってあるテトポスターに祈った。