季節も夏に差し掛かろうとするある日のことである。
その日は風がとても強く、
雲行きもだんだんと怪しくなり始めていた。
ポツ……ポツっと、最初は小さな水の音が軽いリズムを取っているだけだったが、次第にそれは滝の音のように持続的なものへと変っていった。
ザザッーーーーーーーーーー!!
学校の帰り道、真里は突然の大雨に気づいて、
猛ダッシュで、屋根が歩道に突き出ている建物を目指していた。
タッタッタッタ、タッタッタッタ……
「ふぅ………だいぶ濡れちゃったな………」
屋根下に潜り、服についた水滴を払う。
そしてポケットからハンカチを取り出すと、濡れた髪や身体を拭き始めた。
拭きながら屋根を見る。
赤とオレンジのチェック柄の模様。
防水性の布で出来た古びた屋根は、ボロボロではあるがこの雨を凌ぐには十分な強度と広さを保っていた。
以前は酒屋を営業していたのだろうか?
ガラス戸には閉店と書かれた紙がセロハンで貼られ、
店の床には空き瓶が転がっている。
真里は視点を変えて近くの建物を見た。
ここ以外に雨宿りできそうな場所はないようだ。
傘を持っていない真里は、雨が治まるのを待たなければならなかった。
(はぁ……ついてないなぁ……今日の天気予報、
降水確率5%っていうから、傘持ってこなかったっていうのに……)
とはいえ、100%天気予報があたるとは真里も思っていない。
単なる愚痴である。
トゥルルルルル♪トゥルルルルル♪
「あっ、もしもしおかーさん?
なんか急に雨降ってきちゃってさ、車で迎えに来れないかな?
今、なんとか町のなんとかって所にいるんだけど……
えっ? 今日町内会の会合があるからいけない? そっか~……
わかった、じゃあ自分で帰ることにする。
え? うん、大丈夫。風邪ひかないよう気を付けるね」
※※※
じーっと雨を眺めていると、雨の音に混じって女の子の声が聞こえてきた。
「えぇ~~ん、うぇ~~ん、おかあーさーん」
音の鳴る方をじっと眺めていると、
奥の歩道から子供がずぶ濡れになりながらも、
こちらに向かって歩いてくるのが見えた。
(あ、可哀想……どうしたんだろう? お母さんとはぐれちゃったのかな?)
そう思い見ていると、女の子が近くまで来たので、
声をかけ屋根下へと迎え入れることにした。
持っているハンカチで、女の子の身体を拭いてあげる。
そして制服を一枚脱ぐと、女の子が身体を冷やさないようにかけてあげた。
「大丈夫? 寒くない? こんなところで一人でどうしたの?」
「えっぐ、えっぐ……あのね……」
聞けば女の子は、少し前に母親と買い物をしていたのだが、
スーパーの中ではぐれてしまったそうなのだ。
帰り道を覚えていた女の子は、自分で帰ろうとしたのだが、
大雨が降ってきて方向がわからなくなり、結果、迷子になってしまったというわけだ。
「そっか~じゃあお姉さんが一緒にお母さんのこと探してあげるよ。
だから泣かないで、大丈夫だから」
しかし、この大雨だ。
女の子はまだ小さいし、あんまり長いこと雨に打たれると体を壊してしまうかもしれない。
真里は、ひとまず雨が和らぐのを待つことにした。
「とりあえず、今出てもまた濡れちゃうから、雨が緩くなるまでここで待とうか。あなたお名前はなんていうの?」
「……○子」
「へぇー○子ちゃんって言うんだ。
良い名前だね! ○子ちゃんはよく見てるアニメとか見る?」
女の子が不安にならないよう話題を振ってあげる。
初めは泣いていた女の子だったが、次第に表情もほころび笑顔が戻ってきた。
「へぇ~そうなんだ~!! 〇子ちゃんはお母さんのお手伝いして偉いね」
「うんっ♪ 〇子ちゃん偉いの♪」
「あれ? 君たちここで何をしてるの?」
子供のことをあやしていると、通りがかりの男性に声を掛けられた。
どこかで聞いた覚えのある声だ。
「ちょっと、この子迷子でして、雨も止まないものだからここで……!!」
振り向きながら答える真里の目に、
傘を差して心配そうに見つめる誠の姿があった。
「き……桐越先輩…!?」
※※※
「そうだったんだ……お母さんとはぐれてしまったんだね……」
「そうなんです……」
女の子のこと、雨宿りのこと、緊張しながらも真里は状況を説明をする。
憧れの先輩を目の前にして、真里は固まってしまっていた。
「じゃあさ、この傘結構広いし、詰めれば三人くらい入れるから、
僕も駅に向かう途中だし、一緒に中に入っていきなよ」
「えっ⁉」
(そ……そそそそれは……
いわゆる……相合傘というものなのでは、ないでしょうか……?)
心の中で動揺する真里。
あの桐越誠と、同じ傘で、身体を触れ合うくらいの距離で一緒に歩けるだなんて……
真里にはまるで夢のことのように思えた。
「たしか途中に交番もあったはずだよ。
この子も早くお母さんが見つけられるし、問題ないよね?」
「えっ……でも……そんな……私なんかがご一緒しちゃっても……」
「おねーちゃんも一緒に行こうよ♪」
女の子が真里を誘う。にっこりとしてこの状況を喜んでいるようだ。
真里はその声に後押しされ、誠の誘いに乗ることにした。
「そ……それじゃあ……お願い……します」
※※※
三人で相合傘をする。
女の子の歩幅に合わせて歩くので、その歩調はとてもゆったりとしている。
時折、誠の身体と自分の身体が触れてしまい、その度に真里は心臓をドキドキさせた。
誠の言葉に返事はするのだが、恥ずかしくて顔を合わせることができない。
中性的で美しい顔。
本当はじーっと見ていたいものなのに、
いざ目の前にいると直視できない。
そんな真里の様子をおかしく思ったのか、女の子が質問をしてきた。
「ねぇ~?
どーして、おねーちゃん、おにーちゃんが喋っているのに顔を見ないの?」
「えっ?」
「おかーさんが言ってたよ。
話をする時は、ちゃんと相手の目を見て話をしなさいって」
「えっ……あっ……そ、そうだよね……すみません、桐越先輩」
そうして誠と目を合わせる真里。
顔と顔が触れてしまいそうな距離。
ギリシャの彫刻のように綺麗な目。
その人の内面が映し出されたような濁りのない透き通った瞳。
そして雨に濡れて、ほんのりと香る誠の匂い。
二人の間にある湿気を通して、誠の体温も感じられるようだ。
あぁ、なんて美しいんだろう?
二次元とは違う生々しい美しさ。
真里は、誠の姿にウットリと見とれていた。
そんな真里の特殊な態度にも気づかず、
誠はいつも通り、優しく微笑んでいた。
※※※
そうこうしている間に、三人は交番の近くまで来ていた。
中では、女の子の母親と思しき女性が警察と話をしていた。
女性はこちらに気が付くと、
安心したような表情を浮かべ、抱き付く女の子を全身で迎え入れた。
「おねーちゃん、おにーちゃん、ありがと~♪」
「本当に、本当に……ありがとうございました」
女の子と母親にお礼を言われながら、誠と真里はその場を後にする。
※※※
先ほどより、長い歩調で歩く二人。
女の子がいなくなったことで若干歩きやすくなっていた。
駅までは、まだだいぶ距離がある。
その間、誠とこうして相合傘で目的の場所まで向かうのだ。
真里はいつまでもいつまでもこの時間が続けばいいなと思っていた。
誠と話すことに慣れてきた真里は、
今まで話題に上がっていなかった先日のことを話すことにした。
「桐越先輩、彼女さん、いらっしゃったんですね……
この前は知らずに告白してすみませんでした……」
「別に気にしてないよ。僕の方こそ、返し方よくわからなくて、傷つけるようなこと言ってなかったか心配だったんだ……」
「いえ、そんな……そんなこと全然ないです!
私、そのくらいで傷つくほど繊細じゃないですから♪」
(なんて優しい人なんだろう……)
誠が自分のことを気にかけてくれていた。
それを聞いただけで、真里は嬉しくて堪らなかった。
これまで引き摺ってきた気持ちも、それだけでなんだか癒されるような気がした。
「あの……桐越先輩の彼女さんってどんな人なんですか?」
先日ワッフルを一緒に食べてからというもの、
直美とはGL本について話をするほどの仲になっていた。
答え辛い質問で配慮が足りないのは分かってはいたが、
誠から見て直美がどう見えるのかどうしても気になってしまった。
誠は、そんな真里の質問を、失礼と感じる素振りもなく答えた。
「んー元気をくれる人ってところかな?」
「元気をくれる人?」
「うん、ちょっと羽目を外し過ぎるところもあるんだけどね。
すごくまっすぐで、一緒にいて安心できる人だよ」
誠の言葉に、真里は納得していた。
真里も直美に対して同じ印象を持ったからだ。
その後も直美について話をする二人。
直美のことを話す誠は、実に楽しそうで、
本気で愛している気持ちが伝わってきた。
そうして、真里は改めて直美には敵わないと悟ったのだった。
※※※
そうこうしているうちに駅前に到着する二人。
真里は気持ちが吹っ切れたのか、笑顔で誠にお礼を言った。
「ここまで送ってくれてありがとうございます!
桐越先輩が彼女さんのこと、本気で好きな気持ちが伝わってきました。
私もお二人のような関係を作れるよう、桐越先輩みたいな素敵な人を探すことにします!」
そんな真里を、優しく穏やかな表情で見つめる誠。
その表情は、真里の幸せを願っているように見えた。
こうして二人はその日お別れをした。
お互いの幸せを願って
この二人の関係が、運命の歯車によって、
今後、様々な繋がりを持つようになるのだが、それはまた別のお話。