「アイドルね……」
「キョウちゃんはどう思う?」
○✕大学病院に到着した直美は、
さっそく恭子に、誠のことを相談していた。
「私も催眠を解いた方が良いと思うわ。彼が全てを思い出して、その後に決めたものだったら何も問題ないと思う。でも……」
「でも?」
恭子は言いにくそうに続ける。
「直美に理解して欲しいんだけど、
誠くんは私の催眠のせいで○○大学を落ちてしまったの。
直美と別れさせてしまったのも私だし……。
性格を女に変えて、アイドルを目指させることになったのも私のせい……。
彼がそのことを把握して、制裁を与えてきたとしても、
私はすべて受け入れるつもりよ」
直美は神妙な面持ちで恭子の話を聞いている。
誠が恭子を恨む気持ちは理解できた。
優しい誠のことだから、そこまできつく当たらない気もしたが、彼が事実を知った時の衝撃は計り知れなかった。
「それと……直美に聞きたいんだけど」
「ん?」
「記憶を取り戻した誠くんが、
やり直したいって言ってきたらどうする?」
今の誠は、真里と別れてフリーな状態。
別れた原因が催眠であれば、
復縁を求めてくる可能性は十分あり得た。
直美も誠を愛していた頃の記憶を取り戻している。
彼女が望むなら、よりを戻すのは簡単な話であった。
しかし直美は……
「あたしは誠とやり直すつもりはないよ」
一度決めたことは覆(くつがえ)さない。
誠に未練がないと言えば嘘になるが、
直美は二度と恭子を一人にするつもりはなかった。
「直美、ごめんなさい……」
「謝らないで。
あたしとキョウちゃんは一蓮托生なんだから♪」
「意外と……難しい言葉知ってるのね」
だがこの時、恭子の脳裏に父龍之介の言葉が甦る。
《あの女とは別れろ。
娘が同性愛者などと知られたら世間の笑い者だ》
《要求を呑めないなら、
あの女には消えてもらわねばならない》
恭子はハッとして口元に手をおいた。
(一緒になったら、直美が殺されてしまう……)
恭子は龍之介から、取引先の御曹司と結婚するように命じられていた。逆らえば、牛久沼と同じように直美が消されてしまう。
自分が直美と一緒になれないことに気付き、恭子はこの件を思いなおすことにした。
(ここは誠くんとやり直させるのが、直美のためなのかも……)
記憶を取り戻した誠なら、きっと直美を幸せにしてくれる。
別れるのは辛いが、彼女が死ぬのに比べたらマシだ。
直美は頑固だから、
正直に話しても、納得してくれないかもしれない。
いざとなれば、その時は催眠で……。
あまりに恐ろしい発想に、恭子は気を失いそうになった。
「どうしたの? キョウちゃん?」
「な、なんでもないわ……」
自分はもう一度、直美を術中に嵌めなければならないというのか。これほど自分の運命を恨んだことはなかった。
しかし今は、直美の前だ。
その考えを悟られてはならない。
恭子は感情を表に出さないようにした。
「そういえば真里ちゃんって、
本当にレズとして生きるって決めたのかな?」
「元からレズだったんでしょ?」
「そうだけど、女の子の誠を好きになったんだったら、
今の誠のこと、もっと好きになりそうな気がするけど」
「……そうね。でも南の島で考えが変わるきっかけが、
あったのかもしれないわ」
「あんなに仲が良かったのに?」
「何があったかは知らないけど……
明日登校してくるなら、その時聞いてみたら?」
「ん-そうだね。聞いてみる」
この時の二人はまだ、
真里が深刻な状況にあることを知らなかった。
※※※
薄暗い部屋の中、真里はモニターをじっと見つめている。
彼女はどこで手に入れたか自分でもよく分かっていないホモDVDを観賞していた。
「ぐほほ……気持ちいいぜ、ぐほほほほほ!」
「ぐひぃーーやめちくりーー!!
ぐひぃーー!! ぐひぃーー!! ほひーー!!」
モニターに映るおぞましい映像。
汚くメタボリックなおっさんが二人、醜く交じり合っている。
真里がこれまで好んでいた動画とはまったく違う。
グロスカリョナ要素のある誰得動画であった。
当の本人は、オナニーをしているものの、元の趣味から掛け離れたジャンルであるためか、全く感じていない様子だ。
彼女の身体は渇ききり、陰部も擦った指により赤く腫れてしまっていた。
この真里の奇怪な行動は、すべて小早川の催眠によるもの。
彼は、真里が自殺して発見された際に、彼女への同情心が薄れるよう、このようなグロ動画を見せていたのだ。
そうしてしばらくすると、
真里はお腹が空いたのか、カップラーメンを食べ始めた。
以前、パッケージが気に入ってジャケ買いした○○教室のカップラーメンなのだが、
すでに興味も失せているのか、開封方法もいい加減だ。
台所のゴミ箱には、乱雑に捨てられた容器の山があり、ひどい異臭を放っていた。
ずずず……ずずずずず…………。
虚ろな表情で麺を啜る真里であったが、
ふと何かに気付くと、持っている割り箸を見つめた。
(そうだ。これを使って死ねば良いんだ)
真里は割り箸の持ち方を変えると、
それを思い切り目に突き刺そうとした。
ブンッ! ピタ…………。
しかしそれは、すんでのところで防がれる。
割り箸は眼球にぶつかる直前で止まり、真里の手から飛び出してしまった。
「ふぁ……!? ま、また……?
なんで……なんで死ねないのぉぉぉぉ!?」
自身の身に起こった怪奇現象に驚くよりも、
死ねないことへの不満を漏らす。
真里はテーブルに額をぶつけて暴れようとしたが、
それさえもクッションのようなものが間に挟まり、うまくダメージを与えられなかった。
彼女は悲痛な表情を浮かべて横たわり、そのまま疲れて寝てしまった。
(ふぅ……ようやく寝てくれたか……)
寝息をたてる真里の横で、
透き通った白装束の女性がため息をついている。
この部屋の地縛霊、桑原幽子は突発的に生じる真里の自殺衝動になんとか対処していた。
(本当にこいつどうしちまったんだよ? 帰ってきてから死ぬことしか考えていないし……旅行先で何があったんだ?)
幽霊である幽子は、人の心を読み取ることができる。
彼女は真里の心を読み取り、
自殺のタイミングを知ることができていた。
先ほどの自殺未遂の際も、真里が「この割り箸を目に突き刺せば死ねるかもしれない」と考えたから防げたのだ。
そのようにして幽子は、
真里の命を繋ぎ止めることができていたのである。
しかしそれもまもなく限界を迎えようとしていた。
(あと二個か……)
段ボールの中のカップ麺を渋い表情で見つめる。
冷蔵庫の中身もなくなり、深刻な食糧難に悩まされていた。
真里が新たな食糧を買いにいければ良いのだが、そんなことをさせたら、外で死なれてしまう。
幽子は地縛霊のため、このアパートから外に出ることができない。真里を守るためには籠城するしかなかった。
(数日も保たないだろうな……)
水はあるが、食糧なしではさすがに厳しい……
それまでに誰かが助けに来てくれれば良いのだが……。
幽子がそのようなことを考えていると、
廊下に人の気配がした。
すぐに壁をすり抜け、外の様子を確認すると、
そこには怪しげな男が二人いた。
「やはり水道のメーターが動いている。真里はまだ生きているようだ」
「どうする? 中を確認するか?」
「そうだな……たとえ見られても、真里は催眠の影響で、
助けを求めにいけないはずだ」
(催眠っ!?)
男達、もとい私服姿の黒服の発言で、
幽子は真里の奇行の理由を把握した。
それと共に沸き起こる憎悪。
真里をこんな目に遭わせた者の正体を知り、
彼女は全盛期の怨嗟(えんさ)の念を取り戻そうとしていた。
(こいつらが真里を殺そうとしていたわけか……)
あくまで一方的な関係であるが、幽子は真里と二年もの付き合いがある。人を憎むだけの生活から解放してくれて、特別な親近感も抱いていた。
そんな彼女を傷付けようとする悪党を、幽子は許せなかった。
※※※
合鍵を使い、扉を開ける黒服二人。
彼らは真里の生死を確認しようとしていた。
「なんだこれは……」
玄関に入ってすぐ。靴が置かれた土間の部分に、
折れた包丁、割れたグラス、ハサミ、ペンなどが散らばっている。
これらは全て真里が自殺に使おうとした凶器であった。
幽子は真里から凶器を取り上げた後、ここに捨てていたのだ。今は玄関が開いているため、光に照らされているが、閉まれば、この場所は暗がりに隠されることとなる。
真里は電気を点けず生活しており、なおかつほとんどリビングの方にいるため気付かなかったようだ。
「なんでこんなものが……?」
「気を付けろ。いきなり襲いかかってくるかもしれないぞ」
「そうだな……」
催眠の副作用による奇行か?
死の淵に立たされている人間は何をしてくるかわからない。
二人は突如襲ってくるかもしれない狂人に警戒した。
黒服は靴を脱ぎ、なるべく音を立てないようにキッチンに潜入した。奥に進んで、リビングの襖を開けようとする。
その瞬間、水道の蛇口から一気に水が噴き出した。
ジャーーーーーー!!!
「ひぃっ!!」
二人は突然の怪奇現象に驚き、慌てて蛇口を締めようとした。しかし栓は固く、ガタイの良い黒服が締めようとしてもなかなか動かなかった。
「くっ……なんだこの水は……」
キュ……。
悪戦苦闘する黒服であったが、
それは突然、ぴたりと止まってしまう。
直後、背中側にあるバストイレの扉がひとりでに開いた。
キィーーー…………
妙な悪寒を感じて振り向くと、
そこには首に縄を巻き付け、天井から吊るされ、
こちらを睨み付ける白装束の女がいた。
「うえぇっ!?」
恐怖に顔を歪める黒服二人。
腰を抜かしてその場に倒れ込んだ。
彼女は身体が透けていて、その裏側にある壁がハッキリと見えていた。それだけで、この女性が生身の人間でないことがわかった。
幽子の首が曲がってはいけない方向に曲がり、同時に縄が千切れた。床にボトリと落ちる死体。それが床を這いながら近付いてきた。
《死ねぇぇーー!!》
まるで断末魔の叫び声。
黒服は慌てて立ち上がり、逃げようとした。
だが彼らの足が土間に到達した時、
落ちていた凶器が足の裏に突き刺さった。
「ギャアァァッ!!」
悲鳴を上げて倒れ込み、
廊下の手すりに身体をぶつける二人。
彼らは慌てて立ち上がると、すぐにドアを閉めて逃走した。
(ざまあみろ)
幽子は侵入者を撃破すると、
再び真里を守るため、リビングへと消えていった。