「次は◯✕、◯✕。お出口は左側です。電車とホームの間が空いているところがありますので、足元にご注意下さい」
「…………えっ!?」
バッと頭を上げて辺りを見る。
走行する電車の中。
そこには見覚えのある人ばかりが乗っていた。
直美は、強烈なデジャヴを感じつつ、
今の状況を把握しようとした。
(……夢? あたし、寝てたの……?)
首に触れるが傷はなかった。
だが、拭えない生々しい感覚。
たしかにハサミを突き刺したはずなのに。
(キョウちゃんが死ぬ夢を見るなんて……)
不吉な夢に、気味の悪さを感じる。
そして記憶も鮮明に残っていた。
おかしいのは、あの激痛を覚えていることだ。
(いくら夢だからって、あんなに痛いのはおかしいよ……)
経験してない激痛を体感するはずがない。
直美は本当に怪我をしていないか、念入りに首を触ることにした。
「◯✕に到着です」
プシューーー!!
「あっ!! ヤバイっ!!」
首を触っている場合ではない。
直美は慌てて立ち上がるとすぐに駆け出した。
※※※
駅前。
直美の左右には警報の鳴っている踏み切りと、
人混み溢れる交差点があった。
(この光景……夢で見たのと同じだ……)
ずいぶんと長いデジャヴを感じている。
このまま踏み切りへと向かうと、
また事故が起こって時間をロスしてしまうかもしれない。
(でもあれは夢の出来事だし……)
とは思いつつも、直美は交差点を駆け抜けることにした。
(もしもってこともあるし……こっちの方が確実だよね?)
そうして交差点先の歩道橋を登ると、先ほどの踏切の端に、
乗用車がぶつかり大破しているのが見えた。
(!!)
その光景に直美は愕然とする。
これでは予知夢ではないか。
(何が起こってるの……? なんで繰り返してるの……?
でも本当に夢の出来事を繰り返してるのだとしたら、キョウちゃんが……!)
直美は恭子の元へと急いだ。
※※※
「今日で三日目だ。どうしようかなー?」
マンションの雇われ管理人、
牛久沼達郎は、恭子の部屋の周りをウロウロしていた。
盗聴を続けていたところ、
トイレを使う生活音が聞こえ、
未だに恭子が一人でいることを確認できたからだ。
(やはりあの女は戻ってきていないようだ。
そろそろ行って、女神を慰めてやらないとな)
彼女の失恋のショックを癒すには、
自分が行って慰めてやらなければならない。
牛久沼は、彼女にどう接するのがもっとも自然か、考えていた。
(んーどうやって入るかな?
エアコンの点検とか言っておくか?)
とりあえず牛久沼は、ドアノブを回してみることにした。
(なんだ……鍵がかかってないぞ?)
恭子の部屋には鍵が掛かっていなかった。
直美が飛び出してからというもの、恭子は部屋の掃除をして、ゴミをまとめるくらいしかしていなかったのだ。
彼女にとって、施錠がされてるかどうかなど、
もはやどうでも良い問題だったのである。
「へっ……へへへっ……」
牛久沼はニヤリと笑う。
中に入る口実を考えついたようだ。
「不用心ですよーー?」
そう言い、牛久沼はドアを開けて中を見た。
上がり框の手前、女性の靴が一足置いてある。
「甘髪さーん、いらっしゃいませんかー?」
大きすぎず小さすぎず、達郎は程々の音量で声をかけた。
あまり大きな声を掛けても入れなくなるし、
小さすぎても不法侵入感が出てしまう。
彼の小物感がハッキリと分かる行動である。
「いやぁー住人の無事を確認するのも管理人の役目だからなぁ。仕方ない、中にお邪魔して、確認することにしよう」
ずいぶんと言い訳くさく独り言を呟くと、
彼はそのまま中へと入った。
「そうだ。鍵を掛けたままだと不用心だよな。
しっかりと掛けておかないと」
ドアの鍵とドアガードを掛ける。
牛久沼は靴を脱ぎ、コソコソと奥へと進んでいった。
リビングの扉を開けて、中を確認する。
恭子はいないようだ。
(んっ? なんだあれは?)
リビング中央のテーブルに封筒が置いてある。
気になった牛久沼は、中に入って確かめてみることにした。
「これは……こういうことだったのか……」
牛久沼は笑うと、
それを拾い、ポケットへと入れた。
廊下に戻り、恭子の寝室を目指す。
一番奥のベランダ側の部屋が恭子の部屋だ。
牛久沼が奥の扉を開き、中を確認すると、
床に寝そべっている恭子の姿があった。
※※※
テーブルの奥、一列に並べられた座布団の上に恭子はいた。
彼女は目を瞑ったままじっとしている。
顔色は最後に見た時と比べて、ずいぶんと青白くなっていた。慎重に近づき、声をかける。
「…………大丈夫ですか?」
なるべくイケメンボイスになるよう意識したが、
モブ声のままである。
しかし恭子が気付くことはない。
(これでも起きないか……見た感じ。三日間、何も食べてないようだな。あんな封筒を作るくらいだから当然か)
牛久沼はしゃがみ込み、恭子の腕に触れてみた。
(なんだこれは……柔らかいぞ……)
その柔らかさに感動する。
腕でこの感触なら、胸はどれほど柔らかいのだろう?
そう連想させるほど、恭子の身体は魅惑的であった。
(それに……すっげぇ良い匂いだ。
三日風呂に入ってないとは思えんな)
シャワー音がしないことから、
恭子が風呂に入っていないことは知っていた。
この三日で、恭子が使ったインフラはトイレのみ。
おそらく食事だけでなく、水すらも口にしていないだろう。
彼女はカーペットに座布団を四つ並べ、その上で眠っていた。そしてカーペットの下には、ラップが何重も貼られており、まるで防水処理をしたような状態となっていた。
牛久沼は、恭子に触れる喜びを感じつつ、
彼女の身体を揺り動かした。
そこでようやく恭子は目を覚ます。
「………?」
恭子は目を開けると牛久沼をじっと見た。
表情に変化はなく、まだぼんやりとしているようだった。
「大丈夫ですか?」
再び声を掛ける牛久沼に、事態を把握した恭子は、
ゆっくりと起き上がることにした。
「大丈夫です。ただ寝ていただけですので……。
あなたはたしか牛久沼さんでしたよね?
どうしてここに……?」
「いえ、お部屋の鍵が開いておりまして、不用心でしたので注意を促そうとしたのですが、返事がなかったため、奥まで入らせていただきました」
「それだけで、ここまで入ってくるのですか?」
「はい、中にはご病気で倒れられる方もおりますので、緊急時には、このように対応させていただいております」
「そうでしたか。ご心配おかけしてすみませんでした」
牛久沼の説明に納得する恭子。
孤独死も社会問題化されている。
管理人が、こういう対応を取るのもありだと思ったようだ。
「私は大丈夫ですので、
あとは出ていただいても良いですよ」
「顔色が悪いようですが、本当に大丈夫ですか?」
「はい、ちょっとダイエットを頑張り過ぎたようです。
これから食事することにします」
「本当にそれだけですか?」
「他に何かありますか?」
恭子としては、早く帰ってもらいたいという気持ちでいっぱいだった。適当に誤魔化して帰らせよう、そう考えていたのだが。
「実はこんなものを見つけまして」
そう言うと、牛久沼は先ほどリビングで見つけた封筒を恭子に見せた。
「!!」
ここで初めて恭子が反応を見せる。
まずいものを見つかったという表情だ。
「困るんですよね。こういうことをされると。
このマンションの価値が下がってしまいますので」
「…………ごめんなさい」
牛久沼の持つ封筒には、
恭子の文字で「遺書」と書かれてあった。
彼女はこのまま何も食べずに餓死するつもりだったのだ。
ラップを貼り、カーペットと座布団を敷いたのも、自分が死んだ際に、腐汁がフローリングに染み込まないようにするための配慮であった。
とはいえ、死人が出れば、
そんなこと関係なく、総貼り替えになるのだが。
「自殺は止めます。
御迷惑をお掛けしてすみませんでした」
深々と頭を下げて謝る恭子に、牛久沼は続ける。
「人生いろいろありますからね。
辛いこともあると思います。でも死んじゃダメですよ」
「そうですね。私、どうかしていました。
これからは楽しく生きることにします」
にっこりと作り笑いをする。
もちろん恭子は、自殺を止めるつもりはなかった。
本当は直美と過ごしたこの部屋で死にたかったのだが、
見つかってしまっては仕方がない。
他の死に場所を見つけることにしよう。
そういう考えであった。
だが牛久沼は
(ふほぉぉぉぉぉ! なんて神々しい笑顔なんだぁ!!
これぞまさしく女神。ヴィーナススマイルだぁぁ!!)
恭子のこの行動は牛久沼を調子づかせることとなる。
「恭子さん、これも何かの縁ですから、僕と付き合ってみませんか? 僕ならキミのことを幸せにしてあげられます」
「…………」
突然の告白に、恭子は暗い顔を見せた。
(厄介なのに捕まったわね……。
ひとまず出ていってもらって、
管理会社に連絡して対処してもらおうかしら?)
管理人が部屋に上がり込んで、住民を口説いたなど、
会社のモラルを問われる問題である。
牛久沼が配置替えになる理由としては十分だ。
恭子は、適当に誤魔化すことにした。
「お気持ちは嬉しいですけど、まだあなたのこと、よく知りませんし、お返事は後日でも良いですか?」
「……そう言って、お茶を濁そうとしてる?」
「えっ?」
「俺の告白を聞いて、嫌な顔をしたよな?
俺を振ってきた女達と一緒だ……」
先ほどまでと違い、牛久沼の目はずいぶんと据わっている。
恭子が一瞬見せた暗い表情が、
彼のつらいの失恋の記憶を呼び覚ましてしまったようだ。
「そういうつもりはありません。
ただ突然のことだったもので……
牛久沼さんはとても誠実そうですし、前向きに考えておりますが、やはりこういうのは、じっくり考えて答えを出したいと思いまして……」
「女はよくそう言うよな。
分かっているよ。俺を選ばないってことくらい。
だが君の場合は少し違うかもな……?
一度身体を合わせれば、考えが変わるかもしれないし……。
俺が教えてやるよ……。
女とするより、男とした方がずっと気持ち良いってね」
「!?」
牛久沼の台詞で、恭子が唖然とした表情を見せる。
なぜこの男が、そんなことを言い出すのか?
まるで直美との関係を知っているかのような発言だ。
トゥルルルル……トゥルルルル……
そこでスマホに着信が入る。場所はテーブルのすぐ上。
恭子は慌ててそれに手を伸ばした。
ガシッ!
(!!?)
突如、腕を牛久沼に掴まれる。
彼はギラつく目を向けながら言った。
「ずっと君を見守っていたんだ……もうあの女とは別れたんだから、良いじゃないか。俺と付き合おうよ」
「なんでそのことを知ってるの?
まさか盗聴器でも仕掛けたの?」
「…………」
牛久沼はニヤニヤと笑うだけで何も答えない。
恭子はその反応だけで、彼が盗聴器を仕掛けていたことを確信した。
牛久沼は点検と言って、幾度となくこの部屋に入っている。盗聴器はその時に仕掛けたのだろう。
直美がレズビアンだと知られているのだとしたら、
おそらくこの部屋にも仕掛けているはず。
トゥルルルル……トゥルルルル……
スマホは鳴り続けた。
誰からの電話か気になるが、今は取ることができない。
「うるせぇな、
大事な話をしてんだから、かけてくるんじゃねぇ」
牛久沼は恭子のスマホを持つと廊下に出た。
隣の部屋に置いてきたのか、彼はすぐに戻ってきた。
「ごめんね、恭子ちゃん。
それじゃあ、返事を聞かせてもらおうかな?」
牛久沼は作り笑いをする。望まぬ返事をすれば、何をするか分からないといった態度だ。
おそらくこの男が、
これまで自分をつけ狙ってきたストーカーで間違いない。
マンションの防犯カメラに近付かなかったのも、この男が管理人だったからだ。
カメラを監視する立場なのだから、知っていて当然である。
それよりもノンケに戻った直美が、これからの人生をまともに過ごすためにも、この男が盗聴したデータは消さなくてはならない。それには一体どうしたら……?
恭子がそんな考えを張り巡らせている間、
牛久沼の方も、今後の展開を考えていた。
彼は口では誘っているが、すでに真っ当な手段で恭子を手に入れることは考えていなかった。
恭子は遺書を残している。
首を絞めて殺してしまえば、自殺とみなされるはず。
捕まる可能性もあったが、
そんな危険を冒してまで彼女と性交する価値は十分あった。
これほどの美女を好き放題できるなど、一生涯ないことだ。
殺してしまえば彼女は永遠に自分のもの。
すでに牛久沼の頭は、恭子を犯すことでいっぱいだった。