空が暗くなり、街の灯(あかり)が煌めき始める頃。
真里と萌はホテルの自室に戻っていた。
真里は萌を落ち着かせるため、
遊園地で購入したカモマイルティーを淹れ始める。
萌は机をじっと見つめ、
暗くぼんやりとした表情で椅子に座っていた。
机の上にカモマイルティーを置き、心配そうに声をかける。
「とりあえずこれ飲んで落ち着こ」
「ありがとう……」
萌の落ち込み具合を見て、その心情を察する。
本当にどうでも良い男なら、このような反応はしないはずだ。
萌の中には、忍を想う気持ちが、まだ残っていたのだ。
忍と別れた時のことが、萌の頭に甦る。
「信じて欲しい」と伝える彼を見捨てて部屋を出てきたが、
その時、全く迷いがなかったとは言いがたい。
そんなものなければ、
こうして不快な思いをしなくても良かったのに……。
萌はそうした己の認識の甘さに、内心悔し涙を浮かべていた。
(何が信じて欲しいだ。
マコトに気が向いてる癖に、いい加減なことを言うな)
萌は一口、茶を飲むと、
気持ちを切り替えることにした。
自分には真里がいれば良い。
小早川の催眠を受けても、
なおも消えずに残っていた忍への想いを、
彼女は努めて消そうとしていた。
そんな萌に、真里が申し訳なさそうに語り掛ける。
「ごめんね……まさかこんなことになるなんて思わなくて……」
自分がしたことではないが、
誠があんなことをしたからには、代わりに謝らなくてはならない。
真里は精一杯、萌に謝罪した。
そんな真里に、萌は表情を和らげて言う。
「ううん、真里は全然悪くないよ。
真里は何も知らなかったんだから……」
悪いのは、全てマコトだ。
真里が謝る必要なんてない。
こんなお人好しの真里を騙して、友達面するなんて最低の女だ。
萌は改めてマコトを軽蔑した。
そんな萌の反応を見て、真里は尋ねることにした。
「忍くんと何があったか教えて」
萌は、目を閉じて考える。
本当は帰るまで、このことは黙っておくつもりだった。
しかしあの現場を見られたからには、もう話すしかないだろう。萌は渋々、事情を話すことにした。
「わかった、話すよ。
私が忍と喧嘩したのって、浮気が原因だったんだ。
浮気相手はマコトちゃん。
真里が気にすると思って黙ってたの……」
「!!?」
それを聞き、真里は目を丸くさせる。
萌がおかしくなったのは、三日くらい前からだ。
その時から、誠は忍とキスやら何やらしていたということだろうか?
にわかには信じがたい話だ。
しかしそれを聞いて、真里が悲観することはなかった。
むしろ……
(いやいやいやいや、あり得ないでしょ!?
つまり誠くんは、忍くんとホモエッチしてたってことだよね? うほっ♡マジでっ?♡ もっと詳しく聞きたい……♡)
もしかしたら今この時も、
二人はベッドでニャンニャンしているかもしれない。
不謹慎ではあったが、
萌の証言に、真里は興奮してしまっていた。
そんな真里を見て、萌は訝(いぶか)しげな表情を見せる。
なぜ真里の表情は、ほころんでいるのか?
まるで二人の浮気を喜んでいるかのような顔だ。
萌から発せられる微妙な空気に気が付いた真里は、冷静さを取り戻す。
(そうだ。今こそ言わなきゃ。
言えば、萌の気持ちも、きっと変わるはず……)
誠が男であると聞けば、
萌は喜んでくれるかもしれない。
いや、喜ばないはずがない。ぜったいに喜ぶ。
同じ腐女子としての確信が、真里にはあった。
そうした明るい予測を胸に、真里は打ち明けることにした。
「ごめん、私も実は黙ってたんだけど。マコトちゃんって、女装した誠くんなの!」
「はあ……? 何言ってるの……?」
困惑した表情を見せる萌。
彼女は高校時代の誠を、思い浮かべてみた。
……今のマコトとは、どうしても結び付かない。
腕を組み難しい顔をする萌に、真里は続けて言う。
「今、証拠を見せるから待ってて」
真里は急いでスマホを取り出し、写真フォルダを開いた。
それを見て、どれを見せるか悩んだが、
彼女は取って置きの逸品を見せることを決めた。
「ほらこれ、女装した誠くん。ここにおちんちんあるでしょ? マコトちゃんは男なの!」
スマホの画面に映ったマコトは、
真里の下着を身に着けていた。
水色のブラとショーツ。
その以外は、少女のような色白の肌が見える。
四つん這いになり、ショーツをずらして、
その幼気(いたいけ)な後ろの穴とペニクリを晒していた。
それは紛れもなく、真里のペニスバンド(性剣X凸バー)を心待ちにする誠の姿であった。
真里以外は決して見せてはならない門外不出の写真。
誠がこのことを知ったら、
恥ずかしさで卒倒してしまうであろう。
だがこれで誤解も解けて、万事解決となるはずだ。
真里は、そう思っていたのだが……。
「そっか……なるほどね。
誠くんは、真里を裏切って忍を取ったわけだ。
ならこれで気兼ねなく付き合えるね。
このまま誠くんとは別れて、正式に付き合っちゃおうよ?」
「え……?」
萌の意外な反応に真里は絶句する。
あれほど腐っていた親友が、BLのことにはいっさい触れず、誠と別れるように言っているのだ。
親友のあまりの豹変っぷりに、
真里は開いた口が塞がらなかった。
こんな美男子二人がキスしていたら、萌なら興奮しないはずがない。ましてや連結していたとなれば、最高のオナネタというものだ。
これまで苦楽を共にしてきた腐女子仲間としては、
信じられない反応であった。
「えっ……私の話、聞いてた?
誠くんと忍くんは男同士なんだよ!?
BLだよ! 一体どうしちゃったの?」
真里は本気で心配している。
萌はマッドサイエンティストに捕まり、ロボトミー手術をされてしまったのでは?
というくらいの驚き具合である。
しかしそんな真里に、萌は淡々と述べた。
「BLでも浮気は浮気だよ。誠くんは忍と浮気した。
私と真里の両方を裏切ったの」
萌はBLへの関心を失っている。
忍と誠のBLなど、彼女にとっては、もはや何の価値もないものであった。
そしてマコトが誠であることを知り、
彼女の勢いは一気に増してしまった。
真里との今の関係は、一時的なものに過ぎない。
誠が認めてくれなければ、
容易く解消されてしまうような脆い関係である。
しかし、マコトが誠であるなら話は別だ。
マコトは忍と浮気している。
真里はまだ、このことをあまり気にしていないようだが、
これを深刻な浮気問題としてしまえば、自分への同情心もあいなって、誠から心が離れる可能性がある。
萌はこの問題をチャンスと捉えていた。
「真里、私つらいよ……。
忍のこと好きだったのに、あんなひどい奪われ方されて」
目を両手で多い、泣きそうな表情を見せる。
萌は同情を引くため、あえて大げさに演技した。
「それはその……なんでそんなことしちゃったんだろうね……」
真里が気まずい反応を見せる。
萌がこのように捉えるのであれば、このまま同じテンションでいくわけにはいかない。
「誠くん、女みたいな見た目してるし、
本当は男が好きだったんじゃない?」
半分、当たっている。
大学に入学したての頃、誠は男が好きだと公言していた。
付き合い始めた頃も、女性とのキスに違和感があると言っていた。
でもだからといって、他人の彼氏を奪う人ではないはずだ。
冷静に考えて、ひとまず真里は、誠を庇うことにした。
「誠くんには、何か……事情があるんだよ」
「彼女のいないところで男とキスして、
どんな理由があるって言うの?」
「それは……」
「私はあの男を許せない……。
彼女の親友から彼氏を寝取るって人としてどうなの!?」
萌の怒りはごもっともだ。
自分が萌の立場なら歓迎一色なのだが、
常識的に考えるなら、萌が正しいのだろう。
それから真里は、何度も別れるよう説得されたが、
いつまで経っても首を縦に振ろうとはしなかった。
別れたくなる理由がないので、当然の反応である。
そんな態度の真里に、萌はつい口走ってしまう。
「百歩譲って、
誠くんに私を納得させるだけの理由があったとしよう。
じゃあ私と真里の関係はどうなるの?
私とエッチして、あんなに気持ち良さそうにして……。
そんな身体の関係を許してくれるほど、誠くんは寛大な人なの? 真里がしていることだって、立派な浮気なんだよ !」
「それは……」
自分の浮気へと話がシフトし、真里は口を閉じる。
誠の浮気には寛容であったが、
自分の浮気については、そうではなかったようだ。
「たしかに私も浮気してる……」
執拗に誠の浮気を責め立てる萌を見て、
真里は同性間の浮気について、考えを改め始めていた。
思い出すのは、萌とのエッチのこと。
萌とのセックスは、
これまで経験したことがないほど、深い快感を与えてくれた。
身体を伝う、萌の指の感覚。
クリトリスや口に触れる、萌の唇の感触。
萌から発せられる愛の囁きは、
全身に恥ずかしさや陶酔感を与えてくれた。
それを経験してしまった今となっては、
誠とのセックスなど児戯に等しかった。
真里は誠が許してくれるなら、
誠と萌、両方と付き合いたいと思っていた。
そこに邪(よこしま)な気持ちが、全くなかったとは言い難い。
そんな自らの醜態さに気が付き、
真里の机の面を見つめ、とうとう泣き始めてしまった。
「誠くん……ごめんなさい……うっうっうぅ……」
真里は、誠が忍と付き合うのは歓迎であった。
愛する人のお尻が男の肉棒を受け入れた経験があるというのは、腐女子としては、むしろプラス要素であったからだ。
そんな真里だからこそ、
同じ腐女子仲間である萌の浮気発言はショックであった。
あの萌でさえ、そんな考えなら、誠はもっとだろう。
萌と付き合わせて欲しいなどと言えるはずもなかった。
「あ……真里、その……」
誠への怒りと、真里への独占欲から、
つい口走ってしまったが、
結果として真里を傷つけてしまった。
小さく咽び泣く真里の声が、萌の胸に刺さっていた。
(私……何やってるんだろう……)
思い返してみれば、
自分は誠の次に愛して欲しいと伝えていたはずだ。
だからこそ真里は"保留する"と言ってくれたのではないだろうか? それが真里にとって最大限の譲歩だったはずだ。
なのに自分はいつの間にか、それ以上のことを望んでしまっていた。そのことに気付き、萌は考えを改めることにした。
「ごめん、真里。……実は気付いてたんだ。
真里が私を助けるために、告白を受け入れてくれたってこと」
「えっ……」
「真里は、私が自首するのが分かったから、
ああいう止め方をしてくれたんだよね?
なのに浮気だなんて言ってごめん……。
卑怯だよね……真里は全然悪くないのにさ……」
本当に醜いのは自分の方だ。
萌は懺悔の念を込めて、真里にそう伝えていた。
「ううん……そうじゃないよ。
だって私、萌のこと、本当に好きになってたもん」
「え……?」
「たしかに初めは、演技のつもりだったよ。
だけど付き合ってみて、恋人としての萌も良いなって思い始めちゃって……気付いたら本当に好きになってたの……」
「うそ……マジだったの?」
「だから浮気なの。私、自分が誠くんのBLを許すからって、
誠くんも私のGLを許してくれるって考えてた。
萌の言うとおり、同性でも浮気は浮気だよね」
真里の気持ちを聞き、萌の心は揺れた。
真里が本気で自分を愛してくれていた。
それまで演技と思い込んでいた萌としては、
この上ない喜びであった。
そしてその時、萌にある考えが浮かんだ。
忍はたしかに浮気をしてしまったが、
ここでBLを浮気でないとしてしまえば、
両者公認の上で、真里と付き合えるのではないだろうか?
先ほど見た感じだと、誠は相当忍に惚れ込んでいる。
ここは一旦、二人の関係を認めてあげて、その代わり、自分と真里の関係を認めさせれば何もかも上手くいくのでは?
いずれ忍と誠の関係が進展すれば、
誠は真里に興味を失ってくれるかもしれない。
そうなれば、真里は完全に自分の物だ。
素晴らしいアイデアに、萌は心の底からときめいていた。
「あ、あ~……えっーと……
わたし、さっきは浮気って言っちゃったけど……
よく考えてみたら、そうでもないかも?」
「ううん……萌の考えは正しいと思うよ。
私、忍くんのことは、責任をもって誠くんに追及してみる。
その時、萌のことも話してみるけど、
もし誠くんがダメだって言ったら、悪いけど……」
「ちょ、ちょーーと待って! 私も取り乱しちゃったけど、冷静になって考えてみたら、男同士ってやっぱりイイナーなんて☆彡 真里は深刻に物事を考えすぎなんだよ。もっとリラックスして」
「はぁ? さっき許せないって言ってたじゃん。なんで急にそんな意見変えるの?」
「いや……なんていうか……
ほ、ほら、真里が私と関係を持ったみたいに、
誠くんにも、忍と関係を持つ事情があったのかもしれないし、お互い様ってことで良いんじゃない?」
「ダメだよ。そんなこと認めたら際限がなくなっちゃう。
やっぱり同性でも浮気は浮気だよ」
「待って、真里。落ち着いて……ね?
私は真里に好きになってもらえて嬉しいよ?
誠くんと忍もお互いのことが好きみたいだし、
好きな人が二人いてダブルでお得だと思わない?」
「なにそのファーストフードみたいな言い方……」
「とにかく、私はもう気にしてないから大丈夫。
あ、そういえば、真里、お腹空いてない?
お腹空いてると考えもまとまらないから、
ご飯食べに行こうよ? 夜、何も食べてないしさ」
「う、うん……萌がそう言うなら……」
萌にとって、真里が愛してくれるなら、
忍と誠のことなど、どうでも良かった。
依然として、男二人のことは嫌いであったが、
真里を得るため、仲直りすることにした。
真里との関係を誠に認めてもらえば、
真里は自分のものになる。
萌は真里との正式な付き合いに、心を弾ませていた。
その後、二人は夕食を取るため地下へと降り、
誠が女装していた理由や、付き合った経緯などについて、
ご飯を食べながら、楽しく会話するのであった。