センチュリーハイアット小早川。
このホテルの一室で、小早川は腕を組みながら、
机の周りをグルグルと回っていた。
時折ため息を漏らしては、憔悴(しょうすい)した顔を見せている。誠の捜索が難航しているため、イライラを積もらせているようだ。
同じ部屋の少し離れた場所では、
捜査員達が、各連携部署と連絡を取り合っている。
誰も睡眠を取っていないのか、
やつれた顔をしており、表情も険しい。
そんな張り詰めた空気の中、朗報が届けられる。
「小早川様、昨夜出港した貨物船の中に、誠と真里とおぼしき人物を発見しました!」
小早川は大きく目を見開き、
溜まったストレスを発散させるように声をあげた。
「でかしたワ!」
ようやく望んでいた報を受け、彼はどっぷりと椅子に腰を下ろした。
事件前と比べ、痩(や)せこけた頬は、その心労の深さを物語っていた。
「本人かどうか、確認できる?」
「少々お待ち下さい」
黒服が無線機で現場に連絡を入れる。
五分後、司令室のモニターに現地の映像が映し出された。
コンテナから連れ出され、両腕を縄で縛られた真里と誠が、大勢の黒服達に囲まれて、船を降りようとしている。
二人は沈痛な面持ちで、本島へと足を踏み入れていた。
「間違いないワ……
それで、マコトちゃんにケガはなかったの?」
「大丈夫です。傷ひとつないようです」
「念のために検査しなさい。
どんな異常があるか分からないワ」
「女の方はいかがしましょうか?」
「かしこまりました!」
指示を受けた黒服が退室しようとすると、
同じタイミングで扉が開き、鮫島が現れた。
「これは鮫島様、先にお入りください」
黒服は一歩後ろに下がり、深く頭を下げると、入室を促した。
鮫島は軽く礼を言うと、そのまま進み歩いて、小早川のデスクの前で止まった。
「聞いたぞ、見つかったってな」
「えぇ……これで一安心ってところヨ」
座り心地の良い椅子に背中を預け、
気だるそうに小早川は言う。
「いや、安心するのはまだ早い。
もう予定の日数は過ぎてる。
早く洗脳して、家に帰らせるんだ」
「それは分かってるワ。とりあえず事故に遭ったってことにして、入院させれば少しは時間を稼げるでしょ。
学校が始まる前には帰らせるつもりヨ」
小早川が完全に権力を掌握しているのは、この島のみだ。
万が一、本島の捜査一課に事件の匂いを嗅ぎ付けられれば、沈静に苦慮することになる。
小早川達に国家権力を相手取って戦う力はまだなかった。
「ひとまず萌を連れてきて頂戴。
事件前後について調べさせてもらうワ」
「わかった。すぐに手配しよう」
※※※
それから真里と萌は、以前監禁された部屋に収容された。
椅子にくくりつけられ、目隠しされている状態だ。
覚醒の原因を突き止めた。
「小早川様、こちらです」
黒服から手渡された萌のスマホには、
覚醒の原因となったシークレットフォルダの写真が映っている。
「まさかこんな機能があったなんて……すぐに消しなさい」
「ははっ!」
萌は写真の存在を自白させられていた。
そしてこれにより真里達は、
覚醒の手段を失ってしまうこととなる。
そうして調査を続けていくうちに、
小早川は、萌の口から意外な話を知ることができた。
「それで私は真里と付き合うことになりました」
サンルームで真里と萌は、交際を開始していた。
当時、小早川は誠の調教を行っており、
二人が付き合い始めたことに気付いていなかった。
二人が朝までベッドで過ごしたのも、遊園地で遊んだことも、まだ交際前の段階であると考えていたのだ。
「まさかそこまで関係が進んでいたとは思わなかったワ。
なぜ真里は、萌の告白を受け入れたのかしら?
あんなにマコトちゃんと別れるのを拒んでいたのに……」
答えはすぐに本人の口から明かされた。
真里が萌の告白を受け入れたのは、
自暴自棄に陥った萌を救うためであった。
彼女は萌が警察に出頭して、レイプ犯として、その後の人生を無駄にしてしまうのが許せなかったのだ。
「だから私は、萌の告白を受け入れました」
「じゃあ別に萌のことを好きになったわけじゃないのネ?」
「はい……でも」
「でも?」
「初めはたしかにそうでした。だけど恋人としての萌を知ってしまって……気付いたら、本当に彼女のことを好きになっていたんです」
真里の証言に小早川は目を丸くさせる。
その言葉こそが彼が望んでいたものだったからだ。
「もう少し、その話を詳しく聞きたいワ。
あなたの気持ちが変わるきっかけってなんだったの?」
「部屋に戻った後も、私は萌とエッチしました。
萌を恋人と認めてからのエッチは全然違って……
なんていうか……一人の女性として愛されている感じがして、すごく新鮮でした……」
「マコトちゃんと違ったわけネ」
「はい、誠くんも愛してくれていましたが、
一人の人間として愛してくれている感じだったんです。
だから女性として愛されることが、どういうことか知らなくて……」
「それで好きになってしまったのネ」
「はい……」
(良いことを聞いたワ……。
真里にその気があるなら、こっちのもんネ……)
「真里ちゃん……あなたのその気持ちは当たり前のものヨ。
女として生まれたら、女として愛してもらいたいわよネ。
でもマコトちゃんじゃ、あなたを女として愛することはできない。この際だから、鞍替えしちゃったらどうかしら?」
真里は首を横に振って拒否をする。
「それはできません。誠くんが女の子に興味がなくても、
私のことを愛してくれているのは事実です。
萌のことは好きですが、だからといって別れることはできません」
(ま、付き合い始めたばかりなら当然よネ。とりあえず、こっちはこのままで良いワ)
小早川は、強制的に真里の意思を変えようは思わなかった。
誠と真里はまだ別れてはいない。
暗示を掛けたところで、意味がないのは分かっていた。
だが、この証言から真里を堕とす算段を立てることはできた。
小早川は真里への暗示を止めて、
忍を好きなままだと都合が悪いので、
記憶を逃亡する前の状態に戻してからのスタートだ。
「萌ちゃん、あなたが一番好きな人は誰かしら?」
「……真里です」
「忍ちゃんよりも?」
「はい……忍なんか比べものになりません。
むしろ忍は嫌いです」
「ぷっ……」
聞いてもいないのに、忍を嫌いと答える萌に、
小早川は軽く笑い声をあげる。
あれだけ別れを頑なに拒んでいた女が、今ではこの有り様だ。
小早川は、この憎たらしい女が、自分の思い通りになっていることに、大きな優越感を感じていた。
(ふーなんだか楽しいわネ。真里攻略の糸口も掴めそうだし、少し遊んでやろうかしら?)
そう思い、ニヤリと嗤(わら)う。
小早川にとって、仲睦まじいカップルが憎しみ合う様は、最高のエンターテイメントである。
彼は萌の心が忍からもっと離れるよう暗示を始めた。
「あなたにとって、忍ちゃんはどんな男の子かしら?」
「浮気性の嘘つき男です」
「そうよネ。あなたと泊まっている部屋に他の女を連れ込んでセックスするだなんて考えられないワ」
「はい、考えられません」
「あなたに追及された時だって、誤魔化せば騙し通せると思っていたのヨ。そんな男どう思う?」
「最低です」
萌は、その時のことを思い出し、悔しくて拳を握りしめていた。小早川は、それを確認すると嬉しそうに続けた。
「ま、男なんてみんなそんなものヨ。あなたにとって、忍ちゃんは一番信頼できる男性だったのよネ?」
「はい、信頼していました。」
「一番信頼していた男性でさえ、その程度だったんだから、男なんてみんな信用できないんじゃない?
この先、別の男性が現れても、忍ちゃんほど、深く接してみたいだなんて思えなさそうだけど?」
「……はい。たしかに信用できないと思います。
忍でダメなら、男はみんなダメですね」
「そうヨ……男は信用できないし、信用しちゃダメ。
あなたはこの先の人生、一切男を信用できなくなるの。それが一番安全ヨ。そうよネ?」
「はい……男は一切信用しません」
小早川は、声を出さずに笑っている。
萌の人生が狂っていくのが、楽しくてしょうがないようだ。
(あーそういえばコイツ、
前にBLで忍ちゃんの浮気を許す流れになってたわネ。
念のために、その芽も摘んでおきましょう。
ま、ここまで来たら、自然と興味を失ってしまうんでしょうけど)
「もしもの話だけど、もし忍ちゃんの浮気相手のマコトが男だったら、どう思う?」
「それは……」
それまでテキパキ答えていた萌であったが、
話がBLに変わった途端、悩み始めた。
男は嫌いだけど、BLは好きという矛盾に、混乱しているのだろう。萌は何も話さなくなってしまった。
(ふーむ、こうなるのネ。聞いといて良かったワ。真里との会話で、こういう話題になったら、おかしなことになっていたかもしれないわネ)
小早川は少し考えて、暗示をかけることにした。
「あなたは忍ちゃんが原因で、男嫌いになっちゃったの。
男なんて信用できない生き物、全部嫌いよネ?
そしてそれはBLにおいても同じこと。
貴女は男同士の恋愛物が好きだったかもしれないけど、今は違うワ。嫌いな男が二人愛し合っていたとしても、好きにはならないわよネ?
しかもマコトが男だったら、あなたは男に男を寝取られたことになるの。あなたにそんな辛い思いをさせる男同士の恋愛物なんて好きになっちゃダメ!
同性であろうとも、浮気は浮気はヨ。
絶対に許してはいけないワ!」
「はい……」
「では改めて聞くワ。
もし忍ちゃんの浮気相手のマコトが男だったら、どう思う?」
「もっと最低。男同士で浮気して気持ち悪いです」
最低の言い方に怒気が籠っている。事前に男嫌いにされていたこともあり、萌はこの暗示をすんなりと受け入れたようだ。
(上手くいったワ。これでこの女にうちの商品を売ることはできなくなったけど……ま、他の方法で稼がせてもらうから良いワ)
「さて……それじゃあ、そろそろ本題にいこうかしら?」
小早川の目的は、真里と誠の仲を裂くこと。
その最も強力な武器となり得るのが萌だ。
真里の心には、萌を愛する気持ちが眠っている。
その気持ちを増幅させて、誠を愛する気持ちより高めてやれば、必ず真里は誠との別れを決意する。
そのためにも、
この萌という刃を研いでおかねばならなかった。
「たしかあなたは真里と付き合ってるのよネ?」
「……付き合っています」
「少し反応が遅かったみたいだけど、何か気になることでも?」
「はい」
「話してみて」
「真里は私と付き合ってくれましたが、本当は私が自首するのを止めるため、そうしてくれていたんです」
(あら、わかってたのネ)
小早川は、萌が真里の心情を理解していたことに少し驚いた。
「本人がそう言ってたのかしら?」
「いえ、真里は何も……でも長年親友として過ごしてきた私には分かります。あの子、すごく優しいから……」
「そう……あなたは真里との関係をどうしたいと思ってるの?」
「本当の恋人になりたいです。でも……」
「でも?」
「真里には誠くんがいます……この島には来なかったようですが、女の私が敵うはずがありません。
本当は分かっているんです。
真里との関係も一時的なものだって……」
(あーそうだった。この女、この時はまだマコトちゃんが誠くんだと知らないんだったワ。どうしましょ……?)
萌が知らない情報を与えてはならない。
今後、真里を攻略する上で矛盾が生じる恐れがあるからだ。
(萌がマコトちゃんを女だと思ってるなら、
男嫌いの線で責めることもできないし……。
仕方ないワ、少し強引だけど、正面突破を試みてみましょ)
「萌ちゃん……想いが強ければ、
敵わないなんてことはないのヨ?
真里ちゃんが好きなら、
あなたは最大限、彼女を得るために努力すべきだと思うワ。
幸い、この島に誠くんはいないし、
真里ちゃんはあなたのことを彼女だと認めてくれている。
最初は同情だったかもしれないけど、そこから生まれる愛もあると思うワ」
その小早川の言葉に萌は首を横に振った。
「真里は、忍と違って浮気するタイプではありません。
いくら私が迫ったところで、真里は本気でうんとは言ってはくれないでしょう……」
「エッチしたんでしょ? 浮気してるワ」
「しましたが、真里は仕方なくしただけで、浮気とは言いません」
「それでも浮気は浮気ヨ。
真里はエッチしている時、どんな反応してた?
気持ち悪そうにしてたのかしら?」
「いいえ……すごく気持ち良さそうでした」
「それは演技なのかしら?」
「……真里は演技が下手くそなので、演技してればすぐに分かります」
「じゃあやっぱり仕方なくじゃないわネ。
彼女も好きであなたとエッチしてたの。浮気ヨ」
「浮気……」
「本当に嫌なら感じるはずがないワ。
貴女はこのチャンスを逃す気?
真里が帰ったら、それこそチャンスがなくなるわヨ?
せめてこの島にいる間は、全力を尽くしなさい。
諦めるのは、それからでも良いはずだワ」
「でも……」
「想像してみなさい。真里の恋人として過ごせる日々を。
今はそれが手に入れられる最後のチャンスなの!
この先、真里ちゃん以上に愛せる人が現れると思う?」
「いません……
真里以上に愛せる人なんて、絶対現れない……」
「だったらすべきことは……分かるわネ?」
「真里を得るために全力を尽くす……」
「そうよ! この島を出るまで絶対に諦めてはダメ!
きっと勝利の女神は貴女に微笑んでくれるはずだワ!」
黒服に命じて、観覧車へと送らせるのだった。
そこでデートの続きをさせるために……。