小雨が降り始めた。
それは緑したたる山々に降り立ち、パラパラとした音を鳴らしている。冬でも10度を下回ることのない南の島であるが、傘も差さず、雨に濡れてしまえば、寒さもひとしお身に沁みるものである。
誠と真里はそうした寒さに耐えながら、
山村達との合流を目指していた。
「あっ!あれ忍くんと山村さんじゃないですか?」
完全に日が沈むところで、真里が二人を見つけ出す。
嬉々として駆け寄ろうとする真里であったが、そんな彼女の腕を誠が掴んだ。
「待って真里さん。こっちに隠れて」
真里を引っ張り、草むらに隠れる。
見ると、山村と忍以外にも、いくつかの人影が見えた。
彼らは山村達を囲うようにして、距離を縮めているところであった。
「助けにいかなくちゃっ!」
「ダメだ。僕たちがいたら逆に足手まといになってしまうよ」
先ほどと同じように人質にされてしまわないとも限らない。
誠は自分達が傍にいるよりも、二人だけの方がまだ安全だと判断した。
そうしてしばらくすると、閃光弾が空に向けて放たれた。
山村と忍はあっという間に囲まれてしまい、
激しい戦闘の末、捕らえられてしまった。
二人がヘリで連れ去られ、
現場に残された黒服達も去っていく。
静まり返った森の中で、
誠と真里は山を降りることを決めた。
「こうなったら仕方ない……二人だけで山を降りよう……」
「うっ……うぅ……」
暗い山道を下っていく。
途中、真里が足を踏み外し体勢を崩すことも多々あったが、
その度に誠が支えてくれた
催眠時には、あまり感じなかった彼氏としての誠の存在。
それは、かつて雪山で共に過ごした時の頼もしさを思い出させてくれた。
危機的状況に陥った時、人は本性が現れるという。
まっすぐ前を見据え、決意に満ちた眼差し。
常に真里を気遣える優しさ。迷いのない足取り。
普段、女々しかった誠であるが、
彼の本質的な部分は、何も変わってはいなかったのだ。
そして、それは現況のサバイバルにおいても、
目に見える形で現れることとなった。
真里もそうであるが、
誠は遭難するのが、これで二回目である。
前回、雪山で遭難したことで、彼は下山するのに必要なサバイバル術を、ネットや本などで学び、頭に叩きこんでいた。もちろん、そうした勉強において、彼の右に出るものはいない。
命に関わる知識として、
誠はどんなに細かい事でも、完全に記憶していたのである。
だが現況は、通常のサバイバルと大きく異なる。
誠と真里は、ただ遭難しているのではなく、
危険な犯罪者集団に追われている身でもあるのだ。
本来なら、こんな夜中に下山するのは避けるべきことである。救助されやすいよう、見つかりやすい場所で待機したり、体力の損耗を避けるためビバークすべきところだ。
しかし朝になれば、黒服達が一斉に押し寄せてきてしまう。
誠と真里は夜が明ける前に、
山を降りねばならなかったのだ。
それから何時間も二人は山を彷徨(さまよ)った。
無理な道は進まず、おかしいと感じたら、すぐに来た道を戻るようにした。大丈夫と思い込む正常化バイアスこそが、下山のもっとも恐ろしいところである。
それを知っていた誠は多少遠回りしてでも、安全な道を選んだ。そうした彼の迷いのない行動は、真里の心を強く励ましていた。
この人に付いていけば上手くいく。
そう自然と思わせるほど、誠は心強い存在であった。
そうして徐々に日が上り、遠くの景色が見えるようになってきた頃、彼らは山肌から立ち上る煙を発見する。
初めは罠と思い、身構えた誠であったが、
こっそり覗き込んだところ、
キャンプ場で暖を取る人達の集まりであることが分かった。
ホッとした二人は、何事もなかったようにキャンプ場を横切り、近くにあった山小屋に身を潜めるのであった。
※※※
深夜、誠と真里は山小屋を出ると、
再び港を目指して歩き始めた。
忍が捕まり、ボートは使えなくなってしまったが、
やはりこの島を出るには船しかない。
誠は貨物船に乗り込み、脱出する方法を考えていた。
「フゥゥ……なんだか冷えますね。
あの小屋でジャンバーを借りてきて良かったです」
「そうだね。一応、書き置きは残しておいたけど、
あの小屋の持ち主には、いつか謝りに行かなくちゃね」
小屋を出る際、二人は借りたものを全て紙にしたため、それらを揃えるのに十分なほどの金銭を置いていった。
しかし今夜の天気も荒れている。
海から吹き付ける風は強く、ポリエステル製のジャンパーがバサバサと大きく音を立てていた。
雨が降っていたら、もっと酷いことになっていただろう。
木々は風にあおられ大きく揺れている。
道端に落ちているゴミも、飛ばされて転がっている状況である。
それにしても、車道を走る車の数が少ない。
小早川のことだから、この街に黒服を集めていそうなものだが、一時間歩いても、通る車は五台程度であった。
まさか港を封鎖しているのでは?
そんな考えが頭をよぎったが、
それは港に到着しても同じことであった。
荷物を運ぶ作業員くらいしか見当たらない。
黒服達はどこに消えたのだろう?
理由はわからなかったが、有利な状況には変わりがない。
誠は貨物船に乗りこむ方法を考えることにした。
※※※
「まだ見つからないの!? もっと人を増やしなさいっ!! 一日中探しても見つからないなんて何してるのヨ!!」
その頃、誠たちが遭難した山では、
小早川の怒号が鳴り響いていた。
「落ち着け、怒鳴ってすぐに見つかるもんじゃねーだろ」
「アンタのせいでしょ! 忍ちゃんを捕まえたのは良いけど、どうして戻ってくるのヨ!
マコトちゃんが近くにいたかもしれないでしょっ!?」
「いくらなんでも装備がなくては見つけられないだろう」
「アンタ、目が良いんだから見つけられるでしょ!
あぁ……マコトちゃん、きっと今ごろ怖くて泣いているワ……」
鮫島は、小早川の意見に一理あると思いつつ、
「忍が暴れぬよう同乗していた」と苦々しく答えた。
「言い訳は良いワ……とにかく黒服を全員、この山に呼びなさい。港にいるメンバーも全員ヨ!」
「港が手薄になっちまうが……
この山を降りられるわけねぇからいいか……」
鮫島も誠をバカにしていた。
山を自力で下りれる胆力も知識もないと見ていた。
だがそのおかげで、
誠と真里は容易に港に辿り着けたというわけだ。
※※※
港に到着して数十分後、
誠と真里は、奇妙なトラックを発見していた。
「誠くん……あれって……」
「うん……」
視線の先、エンジンを吹かすトラックの荷台の前には、
ぼんやりと立ち尽くす〖人の群れ〗がいた。
数にして十名ほど、男女混合、子供からお年寄りまで様々だ。
おそらくは催眠で操られた現地の住民達。なぜ彼らがいるのか、理由は分からなかった。
だが、ここで誠は、ある奇策を思い付くこととなる。
「あの人達のところに混ざって、船に乗せてもらうことにしよう」
「えっ!?」
「彼らに混ざって、催眠に掛かっているふりをすれば、運んでもらえるかも?」
「た、たしかに……でも怖いですね……」
気付かれれば、そこでゲームオーバーだ。
だがコンテナに隠れようにも、積載量ギリギリまで積み込まれるため、
人間二人が入り込める隙間はなかった。
であれば、初めから積み荷が人間のスペースに入れてもらった方が良い。
真里は意を決すると誠の意見に同意した。
※※※
「ふぅーい、これで最後の積み荷だな」
「いつ見ても、この積み荷はスゴイっすね。まさか人間の運び出しまでやってるとは、信じられないっすよ」
「これがこの会社の闇の部分だ。表では慈善事業やら社会貢献やらを謳っているが、裏ではこういった人身売買もやってるんだからな」
上司が、葉巻を吹かし、人間に取り付けられたラベルを確認し始める。
すると若い方の作業員が誠に注目した。
「この子可愛いっすね。このまま持ち帰りたいくらいっすよ」
「止めとけ、変なマネすると、売られる側にまわっちまうぞ?」
「ハハハ、冗談っすよー。あ、でもこの人、ラベルが付いてないっすね。その隣の女も付いてないっす」
途端に訪れたピンチに二人の鼓動が跳ね上がる。
「たしかにないな。今調べるから、ちょっと待て」
上司はバインダーを広げ、納品書を確認する。
「これ間違ってるな。10体じゃなくて12体だ」
「どうしますか?」
「送り返すにも人間だからなー。
仕方ない。書類を書き直す方向で行こう。
どうせ送り先は一緒だし大丈夫だろう」
「了解っす」
どうやら上司は、書類の方が間違っていると判断したようだ。
まさか生身の人間が混ざるなどとは、考えもしないだろう。
それからすぐに誠と真里はコンテナに運ばれた。
中は空調設備がしっかりしており、人数分のベッドが置いてあった。
しかしラベルのない真里と誠は、段ボールを重ねて作った簡易的な寝床に寝かされた。
「……」
「……」
「……行ったかな?」
「……ですね」
起き上がり周りを見る。
催眠で逃げ出す心配がないためか、縛られたりはしていなかった。
「うまくいきましたね」
真里が小声で嬉しそうに呟く。
先ほどの作業員の会話から、この船が本島に向かうことも分かった。
このまま何事もなければ、恭子と会うことができる。
それから一時間後……。
「なかなか動き出しませんね」
「客船とは違うからね。他にも乗せる荷物があるんだと思うよ。しばらく休もう」
しかし休むと言っても、なかなか落ち着かない環境である。
まるで死体安置所で眠るような気分だ。真里はひとまず目を瞑ることにした。
ザザーーガタンゴトン……
ザザーーガタンゴトン……
「んん……?」
漣の音と船の揺れる音で真里は目を覚ます。
コンテナ隙間から、微かに光が差し込んできていた。
(私、寝ちゃってたんだ……)
よほど疲れていたのだろう。眠りこけても仕方ないと思えた。
真里は一息つくと、周りを確認することにした。
隣では、誠が静かに寝息を立てている。
萌の話では、ボートで二時間半だそうだが、貨物船ならどれくらいかかるのだろうか?
なんにせよ、すでに船は出ているのだから、一、二時間程度であろう。
真里は本島への到着を今か今かと待ち続けた。
それから一時間後、船は本島へと到着する。
「誠くん……船が止まりました。到着したみたいですよ」
耳元で小声で囁く。
誠は目を開けると、少し嬉しそうに起き上がった。
「ついに脱出できたね。あとは催眠に掛かっているふりして、ここから出してもらおう」
「そうですね」
ホテルを出て五日目にして、
ようやく誠と真里は本島に辿り着くことができた。
あとは一刻も早く、恭子と連絡を取り、催眠の犠牲者達を助け出さなければ。
誠と真里が決意を新たにしていると、作業員の足音が聞こえて来た。
「真里さん、あと少しだよ。がんばって」
「はい!」
コンテナの裏から作業員の声が聞こえてくる。
「デクが十二体だなんて聞いてないぞ。なぜ二体多い?」
「そちらの記載ミスじゃないんですか?
物が物だけに、そのまま運ぶしかないでしょう」
「今、逃亡者が二人いることは知ってるだろう。
もしかしたら、その2体というのは、そいつらかもしれないんだぞ」
「なんですって……」
誠と真里が顔を見合わせる。
完全にバレてしまった。
あの扉が開かれれば、確実に捕まってしまうだろう。
「しまった……無理だったか……」
誠は悔しそうに頭を下げる。
コンテナの中に応戦できるような武器は何もなかった。
誠の力では外にいる作業員を振り切って脱出することは不可能だ。
(もし捕まったら、もっとひどい催眠を掛けられちゃう……そしたらもう誠くんとは……)
ここから抜け出せる方法は何かないか?
真里は必死に頭を回転させた。
こんなに一生懸命頭を回すのは、初めて誠を自宅に招き入れた時以来だ。
「すみません、別の鍵を持ってきておりました。すぐに戻りますのでお待ち下さい」
「すぐにな」
作業員の駆け足が遠退いていく。ほんの少しだけ時間が延びた。
それにより、真里は少し冷静さを取り戻す。
(考えなきゃ……本当に全てが終わっちゃう……)
真里は、ここで考え方を根本的に切り替えることにした。
現状、すでにここからの脱出は不可能だ。
本島に着いたとはいえ、ここはまだ海上。
陸への梯子が降ろされているかどうかも分からない状態だ。
こんな明るい時間に作業員を掻い潜って、外に脱出するなど無理に決まっている。
確実に捕まるのであれば、脱出の方法を探るのは無意味である。
そうであれば、捕まった後のことを考えねばならない。
自分はこれから小早川と対面し、可能な限り抵抗しなければならない。
小早川の狙いは自分と誠の離縁。
これまでと違って生半可な抵抗では、
意味を成さないであろう。
小早川の催眠下においても確実に抵抗できる方法。
誠と自分がどれほど心を変えられてしまっても、
また元の関係に戻れる方法を探さなくてはならない。
(…………!!)
その時、真里の脳裏に一筋の光明が射し込んだ。
(ひとつだけ……ひとつだけ方法があったっ!!)
真里は慌てて誠に声をかける。
「誠くん、よく聞いてくださいっ!」
数分後、二人を保護するコンテナの扉は開かれたのであった。