エステルームでくつろぐ小早川の元に、
黒服が一人やって来る。
「小早川様、ご報告がございます。
萌達が南の島温泉に向けて出発したそうです」
小早川は背中にアロマオイルを塗られている。
彼は寝たまま返事をした。
「あらそう、なんのために?」
「はい、ホテルにいた者の話によりますと、
萌が話があると言い、
話し合いの場として温泉宿を指定したそうです。
すでに予約はしているようでして、
今夜はそちらに泊まるものと思われます」
「そこまで改まって話をするなら、もう内容は決まったようなもんじゃない」
「はい、真里との交際を伝える可能性は非常に高いと思います」
「泊まる先は把握してるんでしょうネ?」
「小早川旅館です」
「あら、うちの系列じゃない。それなら問題ないわネ」
「ただ、予約が2名分しか入っていないようでして……」
それを聞き小早川は、しばし考える。
これまでの経験から、
萌がどういう意図を持っているか予想しているようだ。
「あー、そういうこと……
萌は宿に送らせるだけ送らせて、
忍ちゃんと誠ちゃんは帰らせるつもりなんだワ。
性悪な女ネ。ま、そうしてくれるとこっちも助かるワ。
忍ちゃんもあの女に嫌気が差すでしょうしネ」
「はい、仰る通りです。
萌は不機嫌な態度で、命令するように忍にレンタカーを借りに行かせたそうです」
「ほほほ、そうなの。
真里は誠ちゃんが男だってこと言わなかったのかしら?
言ってて、その態度なのは気になるところだけど……
ま、細かいことはいいワ。先回りして監視員を配置しときなさい」
「ははっ!」
わずかに浮かんだ疑問。
小早川が、それを気にする様子はなかった。
彼は萌を堕としたことで、若干気が緩んでしまっていた。
《失敗しても、また掛け直せばいい》
その甘えが、のちの失敗につながることを、
彼は知らなかった。
※※※
それから一時間後、
真里達を乗せた車は、温泉街に続く市道を走行していた。
四方を山に囲まれた田舎町。
萌は窓の外を眺め、何かを探している様子であった。
「ふむふむ……結構いい感じだね。
忍、ちょっとここ入ってもらえるかな?」
萌が指差す先は、古ぼけて閉鎖された工場跡。
忍は意味が分からず首を傾げる。
「こんなところに入ってどうするんだよ……」
「いいからいいから」
忍は萌の我が儘さに若干呆れていたものの、
しぶしぶ要求に従った。
割れた地面のアスファルトの隙間からは雑草が生い茂り、
古タイヤや、錆びた鉄材などが捨てられている。
経年劣化して割れた侵入防止用のチェーンを踏み、
車は敷地内へと入った。
「なるべく外から見えない場所に停めてね。あの建物の裏が良いな」
こんなところで何をするというのか?
疑問ではあったが、萌に言われるがまま車を停めた。
「ありがとう、じゃあスマホの電源切ってもらえる?
真里も誠ちゃんもお願い。切ったらそのままスマホを置いて外に出て。荷物はちゃんと持っていってね」
「おい、萌、本当に何をしようとしてるんだ?」
「大事なことなの、とにかく言うことを聞いて」
真剣な眼差しを向ける。
彼女のその態度に、忍は萌に何か考えがあるのだろうと思った。
「真里さん、どういうことなの?」
「まだ話せません……でもみんなのためなんです」
萌の意味不明な行動に、誠も心配ぎみだ。
しかし真里が事情を知っているようだったので、とりあえず従うことにした。
「じゃあ少し歩くから付いてきて、急いでるから早めに歩いてね」
萌の先導に従い一向は動き出す。
彼女はなるべく車の往来のない細道を使って、
隠れるように市街地を進んだ。
そうして連れて来られた場所はカーレンタルショップ。
既に一台借りているのに、なぜこんなところに?
忍はそんな顔をしていた。
「忍は黙ってて。今度は私の免許で借りるから」
萌は店に入ると、すぐに契約を交わした。
萌が借りた車は、忍が借りたものよりも一回り小さな軽自動車であった。くすんだ色をした古くて地味な車である。
彼女は車に全員乗せると、これまで来た道を戻り始めた。
しかし国道は使わずに一般道を使った移動である。
萌は上着を一枚脱ぎ、サングラスを掛けた。
見た目は普通だが、まるで警察から逃亡する犯人といった雰囲気だ。
車は南の島温泉街を離れ、
元いた中心街を迂回するように反対側の町へと進んでいた。
「忍、色々とごめん……そろそろ話しても大丈夫だよ」
「何があったんだ? まるで誰かから逃げてるみたいだけど」
「全部分かったの。忍が浮気していないことも、勃たなくなった理由も……」
「……?」
萌はこれまで自分達に起きた出来事を話し始めた。
拉致されたこと、
催眠を掛けられたこと、同性同士でセックスをさせられたことなど、一つ一つ丁寧に。
初めは半信半疑だった忍と誠も、
思い当たるふしがいくつもあり、
最終的には、食い入るように彼女の話を聞くようになっていた。
急に女性に興味を失い、
男性に性衝動を持つようになってしまったこと、
初対面にも関わらずお互いが気になっていたことなど、
萌の話が本当なら、実に辻褄の合う内容だった。
そういった一連の話を聞き、脳を刺激された忍と誠は、
ついに記憶を取り戻すに至ったのである。
「萌、すまない……俺がいながら、あいつらの好きにさせてしまって」
忍は暗い顔をして謝罪する。
萌に手出しさせないよう、これまで小早川に従ってきたが、いとも簡単に約束を破られてしまっていた。
心の底から怒りが込み上げてくる。
最愛の人の前で、誠とセックスをさせられたこと。
萌がどんなに傷ついたか、今なら十分理解できた。
「ううん、そんなことないよ……
忍が頑張ってくれなきゃ、私達、とっくに別れてたよ。
それより……私の方こそ、忍のこと信じてあげられなくてごめんね……あんな奴に騙されて、ひどいこと言って……本当にごめんなさい……」
涙で視界が歪む。萌は車の速度を少し落とすと、
腕で目を拭(ぬぐ)った。
「萌が悪い訳じゃない。悪いのは全部あいつらだ。
萌、愛してるよ……あいつらを出し抜いて、
なんとしてでもこの島から逃げ出そうな」
「うん、そうだね。私も愛してるよ、忍……」
ようやく誤解を解くことが出来た二人。
運転中のため、抱き合うことはできなかったが、
こうして無事、忍と萌は元の鞘に収まることができたのである。
「誠くん、大丈夫?」
鼻をすすり、悲しい顔を浮かべる誠を、
真里は心配していた。
誠も忍同様、それまでの記憶を思い出していた。
忍と違い、誠が思い出すのは、犯されたことばかり。
誠は、数々の男性に犯された記憶で悲しみに暮れていた。
「誠くん、辛い思いさせてごめんなさい……
私のためにあんな奴らにやられて……」
「大丈夫……たしかに苦しかったけど、僕は真里さんを守ることができたんだから……後悔なんか全然してないよ」
「誠くん……ありがとう……」
そう言い真里は、震える誠を抱きしめた。
真里、萌、忍の三人と違って、誠は性に真面目な人だ。
本来であれば、好きな人としか身体を合わせたくない彼が、思い出すには実に辛い内容であった。
だが誠は自分の行動を誇らしく思った。
結果として、真里は萌と性交に至ってしまったが、
男性に襲われる事態にはならなかったのだ。
「それより、真里さんは平気なの?
その……萌さんと、そういうことになってしまって……」
「私はぜんぜん平気です。
知らない人とするのに比べたら、萌が相手で良かったです」
真里の表情を見る限り、
萌と行為に至ったことを気にしている様子はまったくない。
誠は彼女が肉体的にも精神的にも無事だったことを安堵した。
車は寂れた商店街へと差し掛かる。
萌は個人経営と見られる小さな古着屋を見つけると、車を停めた。
「よーし、じゃあここで服買うよー。
なるべく地味で目立たないものを選んでね」
※※※
「遅いわネ……。アイツら、まだ着かないの?」
「申し訳ございません、温泉街に入るところまでは把握していたのですが、急に足取りが掴めなくなりまして……」
「まさか事故にでも遭ったんじゃないでしょうネ……」
イラつき同じ場所を旋回する。
そこに一本の電話が入る。
プルルルル……プルルルル……
「あら、サメちゃんじゃない。
アナタから掛けてくるなんて珍しいわネ。何かあったの?」
「やられたぜ……あいつら
催眠が解けてたみてーだな」
「なんですって!!?」
鮫島の電話に顔面蒼白になる小早川。
彼は震える手で携帯を机に置くと、スピーカーモードにして、傍にいる黒服達に通話を聞かせることにした。
「サメちゃん、アナタ今どこにいるの?」
「南の島温泉の廃墟になった工場跡だ。
奴らの携帯に仕掛けておいた発信機を追ってここまで来たんだが、これにも気付かれていたみてーだな。
忍が借りたレンタカーに、きっちり4人分置いてあったぜ」
「な、なんてことなの……」
小早川はショックを隠しきれない様子だ。
「今から街の防犯カメラの映像を調べる。
オメーの方でも近隣の街の映像を調べてみてくれ。
変装もしているかもしれねーから、その辺も黒服達に言っておけよ。あとは警察やマスコミに一通り連絡するんだ。
つーか、この島で
催眠掛けてるやつ全員に指示を出せ」
「わかったわ……サメちゃんもよろしく頼んだわヨ」
電話を切り、一呼吸する。
普段は酒ばかりを飲み、男を掘ることしか考えていない鮫島であったが、こういう時はいつも人一倍、働いてくれていた。
彼の迅速な行動に活を入れられた小早川は、
気持ちを引き締めて、この難題に立ち向かうことにした。
「一同、各部署に緊急事態宣言を送りなさい。
警察、消防、病院、海上保安隊、マスコミ、交通機関に至るまで、全てを総動員してヤツラを捕まえるのヨ!」
「かしこまりました!」
黒服達が一斉に動き出す。
真里達を捕まえるための一斉捜査の始まりだ。
(すでにこの島は全てアタシの支配下にあるワ。
絶対に逃がしはしない…………
次に会った時が、アナタ達の最後ヨ!!)
※※※
「萌ーこれ似合うかなー?」
「似合うとかじゃなくて、目立たない格好にしないとダメだよ。むしろダサいくらいが良いかもね」
萌達は、それぞれ古着を選び変装に勤しんでいた。
真里、萌、誠はチェックのシャツを着て、定番のジーンズを履いている。まさにオタクの服装といったところだ。
「みんな同じ服にしたら逆に目立つよ!
てか誠さん……その服装でも可愛いですね……」
「うーん……可愛くするつもりはなかったんだけどな……」
萌が苦笑いしながら誠を見つめる。
ほぼ同じ格好なのに、女子力で負けた気がして妙な気分だった。
(なんで女の私より誠さんの方が、可愛くなるの……)
そんな萌の気持ちを見抜いたのか、真里が言う。
「萌ー私の気持ち分かってくれたかな?
彼氏に女として負ける気持ちがどんなものか……」
「真里さん、ごめん……僕、そんな気は……」
「あ、誠くん冗談ですって!」
「ふーむ……こりゃ忍が惚れる(掘れる)のも無理ないわ……」
萌は誠の潜在的な女子力に脅威を抱いた。
「萌、こんな服で良いか?」
忍が変なキャラクターがプリントされたシャツを着て登場する。ボトムには本当にボロボロなダメージジーンズを履いていた。
「たしかにダサいけど、違う意味で目立つから却下」
「そうか、じゃあこれに上着を重ねて、
キャラクターを目立たなくさせるのはどうだ?」
そう言って持ってきた控えめなジャケットを羽織る。
「うーん……さっきよりは良いんだけど……」
萌は顎に指を添えて迷っている。
「忍くん、イケメンだから、
何着てもオシャレ上級者って感じに見えてしまいますね」
真里が横から口を出す。
萌は感じたことを先に言われてしまった。
「忍の場合は服じゃなくて顔が問題だね」
「顔は変えられないだろ?」
「こうすればいけるんじゃん?」
萌は、棚にあったジョークグッズを手に取ると、
忍に張り付けた。付け髭だ。
「ぷっ……忍、似合うよ」
「なんか急にダンディーになりましたね」
「むーそうかな?」
結局、忍は付け髭に合うように黒のトレンチコートを着ることになった。ダンディーである。
「真里と私の服もこれで良さそう。
THEオタクって感じでダサくて良いね」
「あとはオタクっぽい話し方すれば良いかな?」
「そうでござるね」
「あい、わかった。これにて一件落着」
「時代劇かな?」
そうして残すところは誠の服だけとなった。
「うーん……誠くんは何着ても可愛くなってしまいますね」
「忍と違って、付け髭は合わないか」
「困ったな……」
そんな時、忍が奥の方から服を持ってきた。
「誠くん、これ着てみるのはどうかな? 誠くんの場合、逆に地味な女の子の服を着た方が目立たないんじゃないかな?」
「えっ……忍くんが選んでくれたんですか?」
「あぁ、昔付き合ってた子で地味な子がいてさ、
その子を思い出しながら選んだんだ」
「嬉しいです……ありがとうございます!」
「あ……う、うん……どういたしまして」
誠の喜ぶ顔を見て、忍は目を反らした。
催眠が解けたとはいえ、誠の笑顔は、植え付けられた恋心を思い出させるものであったからだ。
それは誠が男と分かった今でも変わるものではなかった。
そんな彼らを見て、目を輝かせる二人がいた。
生粋の腐女子、真里と萌である。
「やっばぁぁぁぁい!!♡
ちょっと生BLこんなところで見せないでよぉぉ!!♡」
「はぁはぁ♡ 忍……誠さんに手を出したいなら出しても良いんだよぉぉぉぉぉ!!♡ あぁ……尊い……♡」
「ば……ばか、そういうんじゃないよ……
誠くんは男だし、手を出すわけないだろ……」
「そんなこと言っちゃって、
誠さんのキラキラの笑顔を見て照れちゃったんでしょ?♡
イインダヨー勃起して、誠さんのお尻おまんこにズボスボ入れちゃっても、浮気にはカウントしないからぁ♡」
以前は忍の浮気にショックを受けていた萌であったが、誠が男と分かった今では、すっかり二人の関係を受け入れていた。
「ところで萌、ここ出たら次はどうするの?
だんだん暗くなってきたし、
どこか旅館かホテルにでも泊まらないといけないよね?」
「んーや、それは危険かな。
この島にいる以上、あいつらどこにいても飛んでくるよ。
泊まるなら、なるべく人と関わらないところにしないとね」
「そんなところ、都合良くあるかな……」
「大丈夫、私に任せて。変装も終えたことだし出発するよ」
会計を終えた4人は車に乗り込んだ。
萌の運転で、さらに寂れた田舎町へと移動する。
車は山道を突き進み、
次の町が見えてきたところで、横の細道に入る。
その先にあったトンネルを抜け、
少し登った所に彼女が目的とする宿があった。
ガレージ付きの客室が一軒一軒離れている、
少し変わった宿である。
「えっ? ここに泊まるの?
さっき人に関わらないところって言ってたじゃん。
どこか空き家でも見つけて泊まるのかと思った」
「いいから見てて」
萌は車をガレージへと停めると、
車から降りて壁にあったボタンを押した。
音が鳴りガレージのシャッターが降ろされる。
「ちょっと! 勝手に降ろして良いの!?」
「ここはそういうシステムなの。さぁ荷物を持って入るよ」
「えっ? チェックインはー?」
「不要ー」
萌はガレージのすぐ脇にあった客室のドアを開けて中に入ると、荷物を置きベッドで背伸びをした。
「ハァーー! せいせいしたーー!」
「ちょっと、もーえー!
こんな無断で客室に入ったら、宿の人に怒られるよー!」
逃亡中の身でこんな面倒なことをしてしまったら、
すぐに見つかってしまう。慌てた真里は萌に言った。
そんな真里に、忍が説明する。
「真里ちゃん大丈夫。ラブホテルは客のプライバシーを守るために、顔を合わせずに泊まれるようになってるんだよ」
「えっ!? ここラブホテルなんですか?」
「そうだよ。こんな山の外れにあるのも、人目を避けるためなんだ。気軽に利用できるようにするための配慮だね」
「なるほどー!」
萌と忍は、これまで幾度となくラブホテルを利用してきた。
□□市には、うろ剣や○○教室など、アニメやマンガの世界をテーマとしたラブホテルがあり、二人はよくそこでコスプレエッチをして楽しんでいたのだ。
そのためラブホテルのシステムをよく理解していたという訳だ。
ちなみに料金の支払いは、入り口にある自動精算機で行えるようになっており、チェックインなどの手続きは不要であった。
「とりあえずご飯食べよう。何時間も運転して疲れたー」
「お疲れ、萌」
4人は途中の惣菜屋で購入した弁当を食べ始めた。
部屋にあったコーヒーセットと紅茶セットにお湯を入れて飲む。
そうしてご飯を食べていると、
おもむろに真里がテレビを付けた。
ちょうど○○教室の再放送が流れる時間だったので、
気になって付けたのだ。
《本日午後○時○分ごろ、
南の島温泉街に旅行に来ていた○✕市の男女2名と、
□□市の男女2名が行方不明となりました。
4人はカーレンタルショップ南の島中央店でワンボックスカーを借り、南の島温泉街の宿に向かう途中で消息を断ったそうです。
警察は事件とみて周辺の捜索を行い、
4人の情報提供を求めています》
「これって……ウチラじゃん……」
青ざめた顔をして萌が言う。
続いて映像は4人の顔写真の公開へと移った。
催眠中に撮影されたものだろうか?
身に覚えのない写真だった。
「真里ちゃんどこにいるのー? いたら電話してー!」
「誰この人?」
知らないおばさんが映り、真里の名前を連呼する。
真里は呆気に取られてあんぐりと口を開けていた。
ニュースキャスターの映像に切り替わり、原稿が読み上げられる。
《今回の事件で、御家族の方から謝礼金が出ています。
情報提供者の方には100万円。連れてきてくれた方には1000万円が進呈されます。お電話はこちら○○○ー○○○○ー○○○○にお掛けください》
「本気で探しているみたいだね……」
「誠くん、怖い……」
真里が誠にしがみつく。
彼女はあまりの恐ろしさにガタガタと震えていた。
「萌、どうする?」
神妙な顔で忍が聞く。
「んーちょっと考え中……
まさかあのオカマがここまでするとは思わなかった」
萌も忍も冷や汗をかいている。
小早川の行動にすっかり度肝を抜かれてしまったようだ。
番組は近所の変わったワンちゃん特集へと切り替わる。
萌はリモコンのスイッチを押してテレビを消すと、
静かに話し始めた。
「ふぅ…………とりあえず落ち着こう。
ちょっと今のまま外に出るのは危険だね……。
ここでほとぼりが冷めるまで待って、
みんなが忘れてから出た方が良さそう」
「でも、萌。ここも危ないんじゃないの?
いつアイツらが入ってくるか分かんないよっ……」
「それは大丈夫。少なくとも今日明日くらいまでは、ここは安全だよ」
「そんなの分かんないじゃん」
泣きそうな顔で真里が言う。
「よく聞いて、真里。
アイツら、派手に宣伝してるけど、逆に言えば、私達のことを見失ってるってことなの。
どこにいるか目処が立ってるんだったら、ここまでして探さないよ」
「だけど、ご飯とかどうするの?
もう顔出されちゃったから、コンビニにも行けないよ……」
「それは忍が行くから大丈夫。付け髭もするし、ダンディーなトレンチコートも買ったから、むしろ公開してくれて良かったかもね。それにいざとなったら、この部屋から注文も出来るから大丈夫だよ」
そう言って萌はラミネートされたメニュー表を真里にペラペラと見せた。そこにはラーメンやカレーライスなどの定番のメニューが書かれてあった。
「注文する時に部屋の中、見られない?」
「玄関に料理を出し入れする小さな排出口があるから平気。
客からも宿の人からも、手しか見えないよ」
「なんかすごい便利だね……ここ」
真里はあまりに都合の良すぎるラブホのシステムに驚いていた。まさに逃亡者にとって鉄壁の要塞といったところだ。
「しかし逃走ルートをもっとよく考えなきゃね……
顔バレしてるから、海港も空港も使えないだろうし……
警察にも洗脳されてる人いそうだな……」
小早川は
催眠を使える。警察が向こうの味方となっている可能性は高いと萌は感じていた。
「この島から逃れられたとしても、そこから先どうする? 警察が向こうの味方なら、どっちみち捕まるぞ」
険しい表情で忍が言う。
小早川がすべての権力を掌握していたら勝ち目はない。
「それは大丈夫だと思うよ」
冷静な誠の声。彼は続けて言う。
「さっきの放送、たぶんこの島でのみ放送されてるローカル番組だと思う。あんなの全国で流せないよ」
ホテルを出てから、まだ10時間も経過していない。
こんなデタラメな内容、流せるわけがないのだ。
もちろん小早川が全国放送のテレビ局を掌握している可能性はあり得る。しかしさすがにあの内容を全国放送で流すには、無理があると思った。
「小早川の影響力は、まだこの島に限定されている。
地元に帰って助けを求めれば、まだなんとかなると思うよ」
誠の話に納得する一同。
「だけど、帰る手段がないのが問題だな……」
忍はテーブルを見つめ苦渋の表情を浮かべている。
「ネットで呼び掛けるのはどうですか?」
真里が提案する。
「ほらSNSとか掲示板とかで、匿名でいくらでも投稿できるじゃないですか。それで警察に知らせるのはどうですか?」
「逆の立場で考えてみて、真里。
催眠術で犯されて、同性愛者に変えられました。
犯人は小早川グループの社長です。こんなこと匿名で言って信じてくれる人いると思う?」
「ううぅぅぅ……絶対信じない……」
萌の指摘が入り、真里はガックリと項垂れる。
誠が困ったような顔で続ける。
「でもネットを使うのは良いと思うよ。
掲示板を使わなくてもメールで誰かに伝えることもできるしね。なんとかキヨちゃんと連絡が取れれば良いんだけど……」
恭子はこういう時、誰よりも的確なアドバイスをくれる。
たとえ島から脱出できなくても、恭子に助けを求め、どこか見つからない場所で籠る方法もある。
もし政財界に強力な繋がりのある恭子の父親の力を借りられたら、小早川一味を一網打尽にすることもできるかもしれない。
しかし4人はスマホを持っていなかった。
持っていれば、恭子に連絡もできたであろうが、今さら無理な話である。
電話を使おうにも、恭子の番号など覚えていなかった。
そうであれば、やはりどこか通信手段のある場所まで行き、メールを使うしかない。
YahuuメールやHatmailなら通信履歴もあるし、IDとパスワードさえ覚えていれば、どのパソコンからでも連絡可能だ。
「すみません、誠さん。アイツらから逃げるには、どうしてもスマホを持っていけなかったんです……盗聴されてる可能性もありましたし、車を変えるまで説明できませんでした」
「それは仕方ないよ。こんなに早く放置した車を見つけられたってことは、萌さんの勘が当たっていたってことだよ。萌さんは最善の方法を取ったと僕は思うよ」
「ありがとうございます。でも顔写真が公開されたってことは、今使ってるレンタカーの車両番号も相手にバレてますね……車での移動はもう無理かも……」
車を借りる際に、萌は運転免許書を提示している。
番組を見て、レンタルショップの関係者が小早川に連絡している可能性は高かった。
「あ、そういえば、車に付いているGPSは大丈夫なの?
そこから場所が特定されてしまう可能性もあるよ?」
「それは大丈夫です。だから敢えて田舎町の古いお店を選んだんです。車だってなるべく古くてボロいのを選びましたから、GPSは付いていません」
「そっか、それなら安心だね」
4人は通信手段の確保を最初の目標とすると、
身体を洗い、疲れを癒すため眠りにつくのであった。