文章:白金犬
聖王国王都にある大聖堂。
ステンドグラスから差し込む明るい日差しにさらされるように1人の女性騎士が、正面に祭られている女神ファマロスの像へ祈りを捧げていた。
青と白を基調とした制服は、ドレスのようにスカートが優雅に広がっており、その上から銀の胸当てを身に付けている。その胸当てには、聖王国の象徴でもある大きな十字架が刻まれており、聖王国の最上位機関・聖十字騎士団の中でも更に上層に位置する、ほんの一握りの騎士にしか許されないものだ。
「直りなさい。騎士エルフィーナよ」
女神像の前に立つ老齢の神父の声に従い、彼女――エルフィーナ=ラ=エバグリーンは、組んでいた手を解き、膝をついていた状態から立ち上がる。
「今日ここに騎士エルフィーナは大いなる母ファマロスの洗礼を受け、新たに聖十字騎士となりました。祝福の拍手を」
厳かな神父の声に従うように、聖堂内に参列者からの静かな拍手が響き渡る。参列者はいずれも国の政治に関わる高官であったり、各騎士団の幹部級の人間であったりがほとんどだった。
「ご苦労様でした、エルフィーナ様。お疲れでしょう」
「様はお止め下さい、神父様。エバグリーン家の人間とはいえ、私はまだまだ若輩の小娘に過ぎません。何卒、今後もご指導の程を宜しくお願い致します」
形式的な儀式が終わると、老神父がにこやな表情を浮かべてエルフィーナに言葉を掛ける。するとエルフィーナは、瞳を閉じながら胸に手を当てて礼儀正しく身体を折って、無表情のままそう言い返した。
▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼
「あぁ~、素敵ですわねぇ。エルフィーナ様」
「本当に、あの方程に聖十字がお似合いになられる方はいらっしゃいませんわね」
「私たちの永遠の憧れですわぁ~」
エルフィーナが洗礼を受けた大聖堂の周りで、聖十字騎士の鎧を身に付けた彼女が出てくるのを待っていた人々から歓声が上がる。
エルフィーナの出自であるエバグリーン家は、国内でも有数の名家であり、貴族の血筋である。遠い祖先を辿れば、王族にも連なる血を引いたエルフィーナは、常に泰然自若にして清廉な振る舞いで、老若男女問わずとても評判が高かった。
洗礼を終えたエルフィーナが、新人にも関わらず、周囲に幾人かの騎士を付き人のように従えて歩いていると、人々は感嘆の息を吐きながらその道を開けていく。
無表情だが、その瞳には確かな力強さが宿っている。傷や汚れなど1つなく、美麗という言葉ですら足らないようなその美しい顔は、異性同性問わず虜にしてしまう程だった。
「本当にお美しい方だ……いつか、私もあのような方の相応しい騎士に……」
「もう次期騎士団長というお噂も経っているらしいですわ。さすがはエルフィーナ様です」
エルフィーナを賞賛する声は尚も止まない。
褒められて悪い気はしないだろうが、こうもしつこく続けばいい加減辟易してくるのではないだろうか……と、彼女についている中年の聖十字騎士が、前を行くエルフィーナに声を掛ける。
「大した人気者だな。まるでお姫様だ」
「エバグリーン家という噂が先行しているだけですよ、おじ様」
これだけ周囲の注目に晒されながらも、エルフィーナは微塵にも感情の動揺を見せずに、冷たさすら込めた言葉で返事をする。
「周りの声など関係ありません。私はこの国のため、そして我らの母ファマロスのために生涯剣を捧げ続けるだけです。その想いに一点の曇りもありません」
「そうか。相変わらずだな」
頑としたものを思わせるエルフィーナの声に、中年騎士は苦笑しながら顎を撫でる。
「とはいってもだな、年頃の娘なんだし、こう……色のある話の1つでもあっていいんじゃないか? ファマロス様は、婚姻前の姦淫は禁じられておられるが、清い交際までをも咎めてはおられないぞ」
氷を思わせるような冷たい表情のエルフィーナにそのようなことを言えるのは、聖王国広しといえども、おそらくは彼――叔父カイエンくらいのものだろう。
叔父の言葉に、エルフィーナは目つきを細くしてキッと睨みつける。
「下らないですね。色恋など、私には無縁のものです」
「そうかぁ? そんな美人なのに、勿体ないなぁ」
姪の容姿端麗さを心底惜しむようにカイエンはため息を吐くが、エルフィーナはツンとしたまま歩みを進めていくのだった。
□■□■
「エルフィーナ様、鋼鉄騎士達です」
大聖堂から聖十字騎士団の兵舎へ向かっている途中、向かい側から歩いて来るのは、同じ聖王国に仕える鋼鉄騎士団の男達だった。
女神ファマロスに誓いを立てて品位・清廉・誠実を重んじる聖十字騎士団に対して、常に最前線で血と暴力に溢れる戦場を活動の場とする鋼鉄騎士団には、粗野で乱暴な気質の者が多い。
そんな対極的な立場の両騎士団の関係は、少なくとも良好では無かった。
「おーおー、エバグリーン家のご令嬢様が取り巻きを連れて良い御身分ですなぁ。新人騎士だってのに、聖十字は家柄だけで偉くなれるんだから、楽だよなぁ」
早速、向かってくる男3人の内、最も大柄で筋骨隆々の男がエルフィーナ達に絡んでくる。
「貴様っ……エルフィーナ様に向かって……!」
エルフィーナについていた1人の女性騎士が敵意を露わにして、今にも腰の剣を抜きそうな勢いだが、瞑目したままのエルフィーナが静かに手で制す。
「ごきげんよう、ウルシマス団長。相変わらずご健勝のようで、何よりです」
「かーっ! 『ごきげんよう』だってよ、アルフレッド! どう思う?」
唾を吐き捨てながら、鋼鉄騎士団団長ウルシマスが、側にいた若者――アルフレッドの首に腕を回す。ウルシマスとは違って、スラッとした体型の、整った顔立ちをしている青年である。
「団長、止めましょうよ。聖十字騎士団と揉めたら、また上から怒られますよ。しかもエバグリーン家のお嬢様ですし」
ウルシマスに詰め寄られるようにされているアルフレッドは、彼に暴言を吐かれても瞳を閉じたままツンとしたままのエルフィーナを見ながら、気まずそうに言う。
「どうせ聖十字騎士団様は、前線で泥臭い仕事はぜ~んぶ俺ら鋼鉄騎士団に任せて、自分らは後方で優雅にお茶でも飲んでるんだもんなぁ? ああ?」
普段から聖十字騎士団へ対して反感でも抱いているのか、その悪意を隠そうともせずに言うウルシマスだが、やはりエルフィーナはほとんど反応を見せない。
「そんなことありませんよ。彼女達が後ろで支えてくれるから、俺達は安心して前線で戦えるんじゃないですか」
「――あ? てめぇ、聖十字の味方すんのか?」
「いや、味方も敵も、味方じゃないですか。あたた……!」
団内でも横暴を振るうウルシマスに珍しく反抗するアルフレッドは、拳で頭をグリグリとされている。
そんなじゃれ合っているようにも見える鋼鉄騎士達を見て、エルフィーナは「はあ…」とため息を吐いて歩きだす。
「付き合っていられませんね。そこの貴方――」
「は、はい?」
すれ違いざま、ウルシマスに絡まれているアルフレッドへ、エルフィーナは一言だけ言葉を掛ける。
「騎士団長への諫言は素晴らしいことだと思いますが、もっと憮然とした態度でありなさい。それでも騎士ですか。男性であろうかたが、全く情けない……」
と、アルフレッドの方を見向きもせずに、その場を去って行ったのだった。
▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼
エルフィーナが聖十字騎士としての洗礼を受けた、その日の夕刻。
鋼鉄騎士団の寮の裏庭に、アルフレッドがきょろきょろとしながら姿を現した。明らかに誰かを探している様子で
「あ、アルフ。会いたかったわ♪」
「わっ」
突然、物陰から出てきた何者かに抱き着かれるアルフレッド。
それは、男しかいない男子寮においては、有り得ないくらいに美しい容姿をした美少女。筋肉ばかりで汗臭いのとは違い、とても柔らかくて良い匂いをするその彼女はーー
聖十字騎士エルフィーナ=ラ=エバグリーンだった。
「エ、エルっ! あんまり大きな声出したら……」
「だって、早くアルフに会いたかったんだもの。私に寂しい思いをさせて、悪いコね」
と、どこかふざけたように振る舞うエルフィーナの表情は至福に満ちている。正に恋する乙女という言葉が適切で、とても幸せそうだ。
ちなみにお忍びのつもりなのだろうか、エルフィーナは聖十字騎士団の制服ではなく、平民が着るような、地味で質素な服を着ていた。それでも群を抜いた彼女の美しさは、人の目に触れれば、とても隠し切れるものではないが。
「さっきはごめんなさいね。おじ様達がいた手前、素気ない態度で……怒っちゃったかしら?」
先ほどの凛とした態度からは考えられないような、殊勝で弱弱しい態度で見上げてくるエルフィーナに、アルフレッドも動揺しながら首を振る。
「だ、大丈夫だって、あんなこと。エルにも立場があるのは分かってるし」
「よかったぁ。実はね、あの後すごく後悔していて、ずっと気になっていたの。――でも、ウルシマス団長にちゃんと言ってくれたのは、すごく格好良かった。惚れ直しちゃったわ」
「……はは」
恋人モードになったエルフィーナを見て、アルフレッドは苦笑する。
見ての通り、2人は恋人同士である。それも熱愛カップルだ。
アルフレッドの一途さと誠実さに触れたエルフィーナが彼に惹かれる形で交際がスタートしたのだが、いかんせん平民のアルフレッドと王族に所縁あるエルフィーナでは身分の差がありすぎる。
その上、お互いが所属する騎士団が犬猿の仲ということもあり、2人はこうして周囲から隠れる形で逢瀬を楽しむようにしていた。
「私が聖十字騎士団の騎士団長にまでなれば、お父様も私達に反対できないわ。それまであともうちょっとだから、待っててね。――ああ、そうそう。浮気なんてしたら、許さないから」
「浮気なんてしないって」
エルフィーナは、戒めというよりはどこか悪戯をするような表情と声で言う。明らかにその会話も楽しんでいるようだ。
普段の凛としている聖十字騎士エルフィーナにも憧れるが、こうして2人だけの時に見せる恋人エルの顔も、アルフレッドにとってはこの上なく愛らしい。それが自分にだけ見せてくれる顔だと思うと、とても暖かい気持ちが胸に広がって嬉しくなっていく。
「エル……」
「っあ……アルフ……」
そんな恋人が溜まらなく愛おしくなると、アルフレッドはエルフィーナの頬を撫でながら、ゆっくりと顔を近づけていく。エルフィーナは近づいてくる恋人の顔を、熱っぽい瞳で見返すが……
「だ、だめぇぇぇっ!」
「ぎゃふんっ!」
唇が触れるか否かで、突然エルフィーナがアルフレッドの身体を突き飛ばす。聖十字騎士として鍛え抜かれている彼女の力で、文字通りひっくり返るアルフレッド。
「だめっ! だめだめっ! ダメよ、アルフ! 私達、まだ婚姻の儀式を済ませていないもの。ファマロス様は、婚前の姦淫を厳しく禁じられているのよ。信徒である聖十字騎士として、接吻なんて卑猥なこと……だめよっ!」
「いつつ……い、いやごめん。エルが可愛くてつい……」
アルフレッドが頭を抑えて申し訳なさそうに謝ると、エルフィーナは泣きそうになりながら身をぶるぶると震わせる。
「う、ううんっ! 私の方こそごめんねっ! で、でも……アルフも男の子だもんね。そういうこと興味があるのは分かるわ、うん。実は私だって興味があるもの。アルフと接吻してみたいし、その先も……っきゃ! 私ってば!」
アルフレッドが口を挟む間もなく、エルフィーナは身をもじもじとさせて、両手で顔を抑えている。普段の姿からすると考えられないが、これはこれで見ているだけで飽きない可愛らしい小動物のようだ。
「ちゃ、ちゃんと結婚したらアルフがしたいこと、したいだけしていいから……って、わ……私何を言っているの? で、でも少し楽しみ……かも。私、唇も身体も、その時までアルフのために大切に取っておくわね。ふふふ」
そんなことを言いながら、甘えるようにアルフレッドの胸に身体を預けてくるエルフィーナ。そんな恋人がとても愛おしくて、アルフレッドはエルフィーナの美しい金髪を優しく撫でるのだった。
「大丈夫だよ。俺も、エルとキス出来る日が来るのが楽しみだな」
□■□■
そんな、純粋で無邪気な恋人達に許された僅かな逢瀬の時間を、物陰から盗み見る影が1つあった。
それはエルフィーナと同じく、この男子寮には本来存在してはいけない女性の姿だった、赤髪に引き締まって無駄な肉のない美しい痩身。歳の頃はエルフィーナ達よりも僅かに上の20半ばくらいに見える。どこか妖艶な雰囲気をまとったその美女は、聖十字騎士団の階級騎士の制服。
「ふ~ん。エバグリーン家のお嬢様に、こんな意外な一面があったのね。可愛いじゃない」
ペロリと、彼女はピンク色の舌で同じ色の唇を舐めずりまわす。
「リリーナ様」
音もなく彼女――リリーナの背後から現れたのは、同じ聖十字騎士団の制服を着た女性騎士だった。その制服はエルフィーナが着るのと同じ上級騎士の制服だった。歳もリリーナよりも上に見える。
そんな明らかに目上であろう先輩騎士に対して、リリーナは振り向きすらせず
「明日は予定通りよ。最初が肝心だから、手抜かりのないようにね。――ふふふ、まさかあんな冴えない男がいたなんて知らなかったけど、これは思わぬ幸運ね。ますます興奮しちゃうわ」
一言だけ指示を飛ばした後は、まるで彼女の存在などないように、リリーナは頬を赤らめて悶え初めて、1人の世界に入っていく。
「あ、あの……リリーナ様」
完全に存在を無視されている中、女性騎士はおずおずと切り出しにくそうに言う。決して存在が見えていなかったわけではないリリーナは、うんざりしながらようやく振り向くと、明らかに面倒くさそうに
「なに?」
と、あからさまな不機嫌な反応を返す。
「そ、その……随分と、あの……出来れば……」
がくがくと身を震わせながら、歯切れ悪く言葉を紡いでいく女性騎士。しかしリリーナは、頬を赤らめている彼女を見れば、何を言わんとしているのかはおおよそ察しがついた。
(正直、もうこんな使い古しに興味は無いのだけれど、不機嫌になって明日失敗しても困るわね)
胸中で嘆息しながら、リリーナは女性騎士へと微笑みかける。
「そういえば、貴女とは随分とご無沙汰だったわね。いいわ、今晩は一晩中相手をしてあげるから、一足先に私の寝所の準備をしておいてくれる? ――たっぷり、可愛がってあげるわ」
「は、はいっ……!」
傍から見ているだけでは、その2人の上下関係は逆転しているようにしか見えない。
しかしリリーナのその言葉を聞いた女性騎士は、ぱあっと顔を輝かせると、足早にその場を後にしていった。